山の感触

いつもの山に、ほとんど登られた記録がない南陵側から登った。
下部はぐずぐずの急斜面、上部はやや藪っぽい急な岩場。
やっぱりこの日もほぼ終始、四つ足歩行。たのしい。
最後の藪藪の岩場でルートファインディングを間違えて、擦り傷がたくさんできた。
爪先で土をつかむ感触と手のひらで灌木と岩角をつかむ感触が、翌日も消えずに残る。
登山道をいくら歩いても感じ取れないこれは、もしかしたら山の感触のひとつかな。

源次郎の春

源次郎の山頂にはやっぱりこの日も誰もいなかった。
取付につかったバリエーションルートがこの山域らしい地質を感じさせてとても良い。
対面にいつもの山々がみえる。もうすこしで春だろうか。
途中で迷いこんだ稜線にあった「仮称牛奥山」の手製の山名板に笑った。

雪の源頭

林道をしばらく歩いて取付きまで来ると、思った以上に雪があった。
きのうからの雪はまだしんしんと音もたてずに降りつづいている。
もう地図のうえからは消えてしまったかつての道。
そのいちばん上のほうにある沢の源頭の生き生きとした様子がとても好きだ。
そこから流れだす沢筋のどこかにこの山の神様が祀られている。
そう聞いたことがあるけれど、その場所はだれもにわからない。
いま、沢の源頭はふりつもる雪の下。

雪山の漬物

畑で大根がたくさん採れたので、いつものように漬物にした。
大根の沢庵と、大根の葉っぱの浅漬け。
葉っぱの浅漬けは雪山でも凍らないように塩を多めにした。

夜のテントですこし食べたあと、翌朝の山頂でもポケットから出してまた食べた。
さすがに少しだけ凍ったけど、山の上での漬物はやっぱり美味しい。
塩を多めにしておいて、よかったな。

新年

明けましておめでとうございます。
くだる、ということを最近とても考えます。
今年も静かにくだりながら、遠くを見あげて歩いていけたらと思います。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

鹿をたどる

鹿たちの踏み跡をたどるようにして、藪を漕ぎ、岩をよじ登った3日間。
そうやって会いに行った時ほど、やっぱり彼らは姿を見せないのだ。
静かに気配を消すこと。注意深く、けれども堂々と生きること。

鹿と歩く

東京の奥多摩駅から長野の川上村まで、奥秩父の山々のなかを歩いた。
3日のうちの丸2日間はまったくひとりの人間にも会わなかった。
あちこちで鹿と出会う。
稜線のうえでも、ひらけた草原でも、テントを張ったところでも。
あんなにたくさんの鹿と目を合わせたのは初めてのことだった。
すぐそこの茂みからじっとこちらを見ていたオス鹿の佇まいが忘れられない。
立派な角、堂々とした落ち着き、他者への静かな眼差し。
あんなふうに生きてきたから、彼はいまここに生きているんだろう。

山の朝

ある失われてしまった命をぼんやりと思って、目が覚めた朝。

忘れないようにしたいと思う。
だけどひとは、いつかどうしても忘れてしまう。

どんなものが見えたのだろう。

それを想像すると、蒼くてどこかぼんやりとした、霧のような雲のような流れのような澱みのような、なにかそういうものの像がゆらゆらと意識の内に浮かんでくるような気がして、それってなんだか山のようだなと思った。

川をくだる

前の日の夜から降りだした雨は、まったくやむ様子がない。
濃い霧が風に飛ばされて、時たますこし先の山が見える。
あちこちからたくさんの水が流れこんできて、太ももまで浸かるようなところもある。
川をくだるようにして、山をくだる。

雨の槍

去年もさんざん雨にふられたけど、今年もやっぱり雨だった。
ツェルトのなかは完全に水没。槍の穂先はまったく見えない。
小雨のなかをとぼとぼと登って登頂。
肩のところまでおりたとき、パーっと一瞬霧が晴れた。
山のかたちがくっきりと見える。
たくさんの岩の重なりから、どうしてあんな幾何学が生まれるのだろう。

小海線の飴

できるだけ自分の手でつくってみたいなと思う。
できるだけ自分の足で歩いていきたいなと思う。

・・・

午前3時。そのころ住んでいたアパートの下の自転車置場で、自転車の荷台にピッケルとヘルメットとスコップをつみこんだ。テントやアイゼンでぎっしりになった黄色いザックを背負って、川沿いの道にむかってペダルをこぎはじめる。ここからは全く見えることのない、遠くの山をぼんやりと思う。

正月明けの1月の夜中とはいえ、それなりに重いザックを背負って1時間以上も自転車で川沿いを遡っていくと自然と額から汗がふきだしてくる。もしもいま警察のひとと出会ったら、ガランガランと荷台に不気味な金属音を響かせながら真っ暗闇のなかをザックを背に汗を流して必死に自転車を漕いでいる自分は、どう見てもあきらかに怪しい。。川沿いの道が玉川上水とぶつかるあたりの暗闇で、新聞配達のひとがちょっと不思議そうな顔をして通りすぎていった。

・・・

午前4時半。始発列車のでる駅の無料駐輪場にようやく着いて、荷台の金物たちをザックにくくりつける。ここから駅まで歩いて10分。駅のシャッターがゆっくり開いていく下を、頭をすぼめて通りぬける。

始発の各駅停車を3回くらい乗り継いで2両編成の小海線に乗り換え、静かな無人駅のホームにおりたった。駅前の踏切を渡って少しいったところにあった小さな神社でお詣りをして、そこから目指す集落に向かって車道を登る。道のむこうで、小さな子供たちがお父さんと一緒に畑仕事をしている。朝日を浴びた畑の土は黄金色に輝いて美しい。

車道を小一時間ばかり登っていくと、道の先にめざしていた稲子の集落が見えてきた。こじんまりとした山麓の集落の間を歩く時間は、そこに流れる空気の中に山と共に生きてきたひとたちの暮らしを思わせて、いつだってすばらしい。左の畑のはるか遠くには、めざす山の真っ白な頂が小さく見えている。キリっと冷えた景色のなか、川の対岸を集落のひとが正月飾りのようなものをもってゆっくりと歩いていく。細い道のところで花の世話をしていたおかあさんが「こんにちは」と挨拶をしてくれる。

自宅をでてから7時間、思えば今日はじめて声をだした。

・・・

林道の入口は稲子の集落のいちばん奥のほうにあって、道端には町営バスの古びたバス停がたっていた。できれば今日は集落をゆっくりと眺められるところまであがってから装備を整えたいなと思う。

いつものように山にむかって深く頭をさげてから、雪の林道を登っていくと、しばらくして稲子の家々の屋根が一面に見わたせる小高い場所にでた。ここで一服しようかな。ザックを置いて道ばたに腰をおろす。車が通ることも稀な集落の道は、むこうのほうまでしーんと静かにしずまって朝の光を浴びている。

「おお、こんなところに。めずらしいな。山に登るのかい?」

顔をあげると、村のおじいさんが集落のほうからゆっくりと雪の道を登ってきて、そんなふうに声をかけてくれた。山に登りますと答えると、どこから来たんだい、と言う。「海尻の駅から歩いてきました。なるべく自分の足で歩いてきたくて。」

「駅から歩いてきたのかい。そりゃあ偉いなあ。東京からは新幹線かい?」と言うから、「いいえ、お金もないからいつもこっちには各駅停車で来てるんです。それに新幹線じゃ始発に乗ってもこんな早い時間には稲子に着けないんです。」と答えると、おじいさんはニヤリと笑って「そりゃ良いな。それが一番だ。新幹線なんかじゃ町の景色もろくに見えてこないからな。」と言って、しばらく山のいろいろな話をしてくれた。

「山、冷えるぞ。気をつけてな。」

そう言って、おじいさんは登ってきた林道とはまた違う斜面を集落のほうへとくだっていく。おじいさんが歩いていった斜面をよくよく見ると、うすい踏みあとが集落の家のほうまで続いているのが見えた。きっとこの場所はおじいさんの散歩コースだったのだ。小さくなっていくおじいさんの背中に静かに頭をさげた。

・・・

ひとけのない静かな雪の林道を登っていくと、うしろからふと音がして、四駆に乗った猟師さんたちが横を通った。「山に行くのかい?上のほうにほかの猟師も何人か入っているから、気をつけてな。上にいる連中にも登ってくるのがいるって伝えておくよ。」と言って、猟師さんたちは勇ましく先へと走っていく。

稲子の猟師さんかな、とすこし思う。何度も読んだ芳野満彦さんの雪の八ヶ岳遭難記のなかで、芳野さんを最後にすくいだした猟師さんと稲子の集落のひとたちも、やっぱりあんなふうに無骨でやさしいひとたちだったのだろうか。

雪の林道を2時間ほど歩くと、唐突にアスファルトの車道に行きあたり、その先に何台かの車がとめられた駐車場と登山口の標識が見えた。今日この山にいるひとは、街からこの車道を走ってきて駐車場に車をとめて、そうしてここから歩いて登っていっているんだろう。登山口をすぎると、それまでのデコボコの雪道はしっかりと踏み固められた歩きやすい登山道へと変わり、その道端でお昼を食べて、それからまたしばらく歩いて午後4時前。ようやくその日の幕営地について、テントを張ってゴロゴロと眠った。

夜半から、予報にはなかった雪がしんしんと静かに降りつづけた。

・・・

「まだ誰も歩いていないみたいですね。」

半分くらい雪に埋もれたテントから外に出て、小屋のところのベンチでアイゼンをつけていると、暗闇のなかをヘッドライトが明滅してそう声をかけられた。すこし上まで見に行ったけれど、夜半からの新雪できのうまでのトレースは完全に消えているのだという。夜中にマイナス20度くらいまで気温がさがったからか、今日の新雪はこれまで歩いたことのあるそれよりもサラサラで深さがあり、足と時間をとられそうだ。雪は午前3時をむかえてもなお降り続いている。

「あなたが一番最初です。頑張ってください!」
ヘッドライトのひとは暗闇のなかでそう言って、てくてくと幕営地のほうへ戻っていった。

・・・

結局その朝は、稲子の集落から見あげた真っ白な山のてっぺんには届かなかった。

トレースの消えた雪のうえをヘッドライトの灯りと夏道の記憶を頼りに登って、日がのぼる頃には峠につき、そこから稜線をたどりはじめたのだけど、さらさらの新雪が夜明けの爆風に巻かれて稜線上はほとんどホワイトアウトしていたし、吹きだまりの斜面の深雪を四つん這いで攀じ登ろうとしてみたものの、その頃の自分の経験と技術ではそれ以上は先に進めなくなってしまったのだ。

とぼとぼと撤退して峠からくだる帰り道、稜線で風がゴオゴオと鳴るなか、真っ白な空を突きやぶって唐突にウソのような青空がひろがって、さっき登れなかった白い頂がざあーっと姿を現した。カメラをだしてその頂にむかって構えると、突然頭上の木からふってきた大きな雪の塊にズドンと頭を叩かれて、カメラも顔も全身雪まみれ。思わず声をだして笑った。山が、また出直して来いよと言ってくれているみたいだった。

幕営地の近くまで下ってくる頃には、風もやみ、あたりはすっかり晴れていて、きのうから小屋に泊まっていたひとたちが、すばらしい雪山日和になったおだやかな空の下を稜線にむかって出発していくところだった。

夜明けの爆風がウソのような明るい雪景色のなかを連れだってワイワイ登っていくひとたちと、いろいろな挨拶を交わしながらすれ違っていると、さっきまでの暗がりの時間とは違う時間を生きているような気分になってくる。楽しそうなひとたちに賑やかな明るい声をかけてもらうと、自分もやっぱり笑顔になる。けれど、なぜだかよくわからないけれど、いつもそこには自分の居場所は無いような感じがするのだ。

・・・

テントを撤収して、きのう来た道とおなじ道を戻っていく。駐車場と登山口を通りすぎ、ひと晩でだいぶ積雪がふえた誰の足跡もない林道をくだって、きのう猟師さんと会ったところを通り、村のおじいさんと話しをしたところまで帰ってきた。稲子の家々の屋根はすっかり雪をかぶって真っ白になっている。そのすぐ横の斜面にはおじいさんの散歩道が今日もうっすらと続いている。

集落の道にでて、それから畑のところで右手を見あげると、今朝登れなかった白いてっぺんが今日も見えた。きのうより、もっとずっと白く輝いているように見える。その白い頂に深く頭をさげて、それから集落のほうにももう一度、お辞儀をする。凍った車道のはじっこを滑らないようにくだっていって、子供たちが畑仕事をしていたところを通りすぎ、きのうの朝、駅を出た時にお詣りをした神社のところまで帰ってきて、そこでもういちど、山と集落に最後のお礼を言って頭をさげる。

神社の階段をおりて道をわたると、とうとう小海線の踏切ときのうの朝おりたった無人の駅が見えてきた。ああ、帰ってきたなあ。そう思うけれど、でもそうだ、今日はここからまだ列車を乗り継いで東京に戻ったあとに、1時間半の夜道の自転車漕ぎが待っているのだ。。

「山、行ってきたのおー?!」

突然、右後ろからそんな大きな声がして振りむくと、車に乗った村のおかあさんが運転席から満面の笑みをうかべて、こっちに車を走らせてくる。

「偉いねえー!これあげるー!!」

減速した車の窓から唐突にさしだされたおかあさんの手の上の袋をとると、子供の頃によく食べた懐かしいニッキ飴の袋だった。

「もう半分くらい食べちゃったけどー!!」

おかあさんはそんなふうに言って、袋から手を離し、あははーと笑いながらぐいんと車を加速させた。車は目のまえの小海線の踏切をわたって右に進路を変え、線路に沿った道を走っていく。

「ありがとうございまーす!!!」

あまりの突然の出来事にやっとそれだけ言って、大きく大きく力いっぱい手をふった。おかあさんは車の中から笑いながらこっちをふりかえって、それからちょっと手をあげて、もうすっかり西へと傾いた静かな光のほうへ、ぐんぐんと遠ざかっていった。

雑記

もしも自分に感性なんてものがあるならば、それは手放そう。それはぜんぶ放り捨てよう。

そうじゃないとつくれない。つくりたい建築はきっと自分にはつくれないんだと、あるときそう思って、
数年前この雑記を書くのをやめました。

これからまた、しずかに書いていきます。

芹沢の家 内覧会のお知らせ

お施主様のご厚意で芹沢の家の内覧会を開催させていただけることとなりました。
場所は神奈川県茅ヶ崎市。日時は8/10,12の二日間。

もしご興味を持ってくださるかたがいらっしゃいましたら、どなたでも是非お越しください。
メールにてお名前・参加予定日をお知らせいただければ、折り返し住所などをご連絡させていただきます。

芹沢の家の記録(2)

芹沢の家、2023年夏の上棟から2024年夏の足場解体までの記録写真を「手がけたもの」にUPしました。
今回も写真は金田幸三さんです。

芹沢の家の記録

芹沢の家の写真をホームページに掲載しました。2021年冬から2023年夏の上棟までの700日あまりの日々のなかの10日間をきりとった記録写真です。

撮影はすべて金田幸三さん。主な撮影場所は那須の建築工房槐さん、大田原の坂本材木店さん、埼玉の深谷配合粘土工業さん、それから芹沢の敷地です。

ものづくりの現場は、ここには写っていない残りの690日間の中で、見えないところで滴りおちた汗や、もらされた溜息や、あるいは写真には写らない場所で地道に身体を動かしつづけてくれた職人さんたちの手の中に、等しく存在していると思っています。

ひかりの加減で写真の裏側に隠れてしまったそうした見えない瞬間のひとつひとつが、ここにある写真の先におぼろげにでも映しだされていたら良いなあと考えながら、金田さんの撮ってくれたたくさんの写真を見つめました。

現場は今週とうとう屋根が出来あがり、ここから先は竹を編み、土を捏ねては投げつけて、家の輪郭となる壁面をつくっていこうとしているところです。

朝。さっきから目の端でちらちら動くものがあるなあと思って、斜面の下をまじまじと見た。むっくりとした黒い塊が、のそのそと斜面を移動していく。。

よく見るとそれは自分の影で、そのことになんだか不意をつかれた感じがした。なんとも冴えない感じのその影は、これからのろのろと稜線に沿って歩いていくところのようだった。登山者のひとたちはまだこのあたりに登ってくる前で、おだやかな風以外には動くものはなんにもなかった。

冬の座り

夜明け前、ざあざあと天幕を打つ音はてっきり雨だと思っていたけれど、いざ外に這い出してみると、黒い雨具の表面を真っ白い雹がぱらぱらと滑っていった。

テントをたたんで山頂を越えて、それから北側の森に入ると、その雹はさらさらとした質感に変わり、しばらくするとしっとりと柔らかな雪になって、沢沿いの道の滝のところにさしかかるころにはあたりは一面の真っ白な雪景色になっていた。

きのうの昼間はあんなにも暖かく晴れていたというのに、冬はもう、その森の小径のところまで歩いてきてしまっていて、なに食わぬ顔をして静かに山に座っていた。

地面の踏みかた

あれほど大事そうにベースを抱えて弾くひとは他には絶対いないと思っていたけれど、何人かの人の背中ごしに5カ月ぶりに見たそのひとは、重たい音を弾くたびにググっと強く左足に力を入れて、足元の地面を踏みしめていた。

あんなにも強く地面を踏みしめたことは今まで一度もないかもなあと思って、演奏を聴いているあいだ、何度か自分でも同じように足元の地面を踏んでみた。地面を強く踏めば踏むほど、その反発で自分の身体がグイッと強く浮き上がる。踏みしめた地面が、何かの力を自分にくれる。

ステージの上のそのひとは、靴底の下にある地面から浮き上がってくるその力をそっくりそのままベースに乗せて、ステージの隅でひとり黙々とその音を鳴らそうとしているのかもしれない。まるで大切なひとの宝物を預かっているかのように大事に大事に抱えられたベースの、そのもっとずーっと下のほうの暗がりで、青いアディダスの靴が何度もわずかに上下に揺れる。

あんなふうに暮らしていけたらなあ、と思った。

池のうえ

夕方、ヒュッテの脇の水場のところまで、水を汲ませてもらいにしばらく池の横の道を歩いて行くと、小屋番さんがぽつねんとひとり、小屋の前のテーブルに寄りかかって山を見上げていた。

「だーれもいないと、さすがに心細いもんでしょ。」

山を見上げる姿勢を崩さないままに、ちょっとはにかみがちな小屋番さんがニヒルにそう言うから、いやいやむしろこれが良いから今日来たのですと言うと、うちは日曜に弱いからねと言って小屋番さんが小さく笑った。今日は小屋泊まりのひとも誰もいなくて、ヒュッテには小屋番さんがひとりらしい。

しばらくよもやま話をさせてもらってからテントのところに戻ると、さっきよりも深い霧がでて、鳥たちも鳴きやんだ無人の池のまわりはすっかり静寂の中に沈んでいた。時たま小さな動物が鳴く以外は、あんまりにもなんの音のしないその晩は、おそろしいくらいぐっすりと眠れる夜で、そのままうとうとと眠っているうちに朝になった。

池の反対側のヒュッテから目覚まし時計の音が聞こえてきて、バンっと強くその時計が止められる音がした。小屋番さんもきっとちょっとだけ寝坊をしていま起きたのだなと思うと、なんだか可笑しい。池のところに溜まっていた霧がだんだんと薄くなってきて、森のほうに流れていく。その霧の中を朝の光が通りぬけていこうとする。光はいま、池のうえにあって、とても誰かの手の届くものではないかのように見えた。

秋の自由

いつのまにやらやってきて、忘れたころに去っていく。なんの合図も、なんの約束もなく、ふらっと一寸やってきて、ふらふらそのまま流れていく。行きつく先も帰りつくあてもない。秋には秋の言い分というものがあるわけだろうけれど、それはどこかの街角の居酒屋に競馬新聞片手にするりとやってきては去っていく千鳥足のおじさんの自由にも、なんとなく似ていなくもない。