
ある失われてしまった命をぼんやりと思って、目が覚めた朝。
忘れないようにしたいと思う。
だけどひとは、いつかどうしても忘れてしまう。
どんなものが見えたのだろう。
それを想像すると、蒼くてどこかぼんやりとした、霧のような雲のような流れのような澱みのような、なにかそういうものの像がゆらゆらと意識の内に浮かんでくるような気がして、それってなんだか山のようだなと思った。

ある失われてしまった命をぼんやりと思って、目が覚めた朝。
忘れないようにしたいと思う。
だけどひとは、いつかどうしても忘れてしまう。
どんなものが見えたのだろう。
それを想像すると、蒼くてどこかぼんやりとした、霧のような雲のような流れのような澱みのような、なにかそういうものの像がゆらゆらと意識の内に浮かんでくるような気がして、それってなんだか山のようだなと思った。

できるだけ自分の手でつくってみたいなと思う。
できるだけ自分の足で歩いていきたいなと思う。
・・・
午前3時。そのころ住んでいたアパートの下の自転車置場で、自転車の荷台にピッケルとヘルメットとスコップをつみこんだ。テントやアイゼンでぎっしりになった黄色いザックを背負って、川沿いの道にむかってペダルをこぎはじめる。ここからは全く見えることのない、遠くの山をぼんやりと思う。
正月明けの1月の夜中とはいえ、それなりに重いザックを背負って1時間以上も自転車で川沿いを遡っていくと自然と額から汗がふきだしてくる。もしもいま警察のひとと出会ったら、ガランガランと荷台に不気味な金属音を響かせながら真っ暗闇のなかをザックを背に汗を流して必死に自転車を漕いでいる自分は、どう見てもあきらかに怪しい。。川沿いの道が玉川上水とぶつかるあたりの暗闇で、新聞配達のひとがちょっと不思議そうな顔をして通りすぎていった。
・・・
午前4時半。始発列車のでる駅の無料駐輪場にようやく着いて、荷台の金物たちをザックにくくりつける。ここから駅まで歩いて10分。駅のシャッターがゆっくり開いていく下を、頭をすぼめて通りぬける。
始発の各駅停車を3回くらい乗り継いで2両編成の小海線に乗り換え、静かな無人駅のホームにおりたった。駅前の踏切を渡って少しいったところにあった小さな神社でお詣りをして、そこから目指す集落に向かって車道を登る。道のむこうで、小さな子供たちがお父さんと一緒に畑仕事をしている。朝日を浴びた畑の土は黄金色に輝いて美しい。
車道を小一時間ばかり登っていくと、道の先にめざしていた稲子の集落が見えてきた。こじんまりとした山麓の集落の間を歩く時間は、そこに流れる空気の中に山と共に生きてきたひとたちの暮らしを思わせて、いつだってすばらしい。左の畑のはるか遠くには、めざす山の真っ白な頂が小さく見えている。キリっと冷えた景色のなか、川の対岸を集落のひとが正月飾りのようなものをもってゆっくりと歩いていく。細い道のところで花の世話をしていたおかあさんが「こんにちは」と挨拶をしてくれる。
自宅をでてから7時間、思えば今日はじめて声をだした。
・・・
林道の入口は稲子の集落のいちばん奥のほうにあって、道端には町営バスの古びたバス停がたっていた。できれば今日は集落をゆっくりと眺められるところまであがってから装備を整えたいなと思う。
いつものように山にむかって深く頭をさげてから、雪の林道を登っていくと、しばらくして稲子の家々の屋根が一面に見わたせる小高い場所にでた。ここで一服しようかな。ザックを置いて道ばたに腰をおろす。車が通ることも稀な集落の道は、むこうのほうまでしーんと静かにしずまって朝の光を浴びている。
「おお、こんなところに。めずらしいな。山に登るのかい?」
顔をあげると、村のおじいさんが集落のほうからゆっくりと雪の道を登ってきて、そんなふうに声をかけてくれた。山に登りますと答えると、どこから来たんだい、と言う。「海尻の駅から歩いてきました。なるべく自分の足で歩いてきたくて。」
「駅から歩いてきたのかい。そりゃあ偉いなあ。東京からは新幹線かい?」と言うから、「いいえ、お金もないからいつもこっちには各駅停車で来てるんです。それに新幹線じゃ始発に乗ってもこんな早い時間には稲子に着けないんです。」と答えると、おじいさんはニヤリと笑って「そりゃ良いな。それが一番だ。新幹線なんかじゃ町の景色もろくに見えてこないからな。」と言って、しばらく山のいろいろな話をしてくれた。
「山、冷えるぞ。気をつけてな。」
そう言って、おじいさんは登ってきた林道とはまた違う斜面を集落のほうへとくだっていく。おじいさんが歩いていった斜面をよくよく見ると、うすい踏みあとが集落の家のほうまで続いているのが見えた。きっとこの場所はおじいさんの散歩コースだったのだ。小さくなっていくおじいさんの背中に静かに頭をさげた。
・・・
ひとけのない静かな雪の林道を登っていくと、うしろからふと音がして、四駆に乗った猟師さんたちが横を通った。「山に行くのかい?上のほうにほかの猟師も何人か入っているから、気をつけてな。上にいる連中にも登ってくるのがいるって伝えておくよ。」と言って、猟師さんたちは勇ましく先へと走っていく。
稲子の猟師さんかな、とすこし思う。何度も読んだ芳野満彦さんの雪の八ヶ岳遭難記のなかで、芳野さんを最後にすくいだした猟師さんと稲子の集落のひとたちも、やっぱりあんなふうに無骨でやさしいひとたちだったのだろうか。
雪の林道を2時間ほど歩くと、唐突にアスファルトの車道に行きあたり、その先に何台かの車がとめられた駐車場と登山口の標識が見えた。今日この山にいるひとは、街からこの車道を走ってきて駐車場に車をとめて、そうしてここから歩いて登っていっているんだろう。登山口をすぎると、それまでのデコボコの雪道はしっかりと踏み固められた歩きやすい登山道へと変わり、その道端でお昼を食べて、それからまたしばらく歩いて午後4時前。ようやくその日の幕営地について、テントを張ってゴロゴロと眠った。
夜半から、予報にはなかった雪がしんしんと静かに降りつづけた。
・・・
「まだ誰も歩いていないみたいですね。」
半分くらい雪に埋もれたテントから外に出て、小屋のところのベンチでアイゼンをつけていると、暗闇のなかをヘッドライトが明滅してそう声をかけられた。すこし上まで見に行ったけれど、夜半からの新雪できのうまでのトレースは完全に消えているのだという。夜中にマイナス20度くらいまで気温がさがったからか、今日の新雪はこれまで歩いたことのあるそれよりもサラサラで深さがあり、足と時間をとられそうだ。雪は午前3時をむかえてもなお降り続いている。
「あなたが一番最初です。頑張ってください!」
ヘッドライトのひとは暗闇のなかでそう言って、てくてくと幕営地のほうへ戻っていった。
・・・
結局その朝は、稲子の集落から見あげた真っ白な山のてっぺんには届かなかった。
トレースの消えた雪のうえをヘッドライトの灯りと夏道の記憶を頼りに登って、日がのぼる頃には峠につき、そこから稜線をたどりはじめたのだけど、さらさらの新雪が夜明けの爆風に巻かれて稜線上はほとんどホワイトアウトしていたし、吹きだまりの斜面の深雪を四つん這いで攀じ登ろうとしてみたものの、その頃の自分の経験と技術ではそれ以上は先に進めなくなってしまったのだ。
とぼとぼと撤退して峠からくだる帰り道、稜線で風がゴオゴオと鳴るなか、真っ白な空を突きやぶって唐突にウソのような青空がひろがって、さっき登れなかった白い頂がざあーっと姿を現した。カメラをだしてその頂にむかって構えると、突然頭上の木からふってきた大きな雪の塊にズドンと頭を叩かれて、カメラも顔も全身雪まみれ。思わず声をだして笑った。山が、また出直して来いよと言ってくれているみたいだった。
幕営地の近くまで下ってくる頃には、風もやみ、あたりはすっかり晴れていて、きのうから小屋に泊まっていたひとたちが、すばらしい雪山日和になったおだやかな空の下を稜線にむかって出発していくところだった。
夜明けの爆風がウソのような明るい雪景色のなかを連れだってワイワイ登っていくひとたちと、いろいろな挨拶を交わしながらすれ違っていると、さっきまでの暗がりの時間とは違う時間を生きているような気分になってくる。楽しそうなひとたちに賑やかな明るい声をかけてもらうと、自分もやっぱり笑顔になる。けれど、なぜだかよくわからないけれど、いつもそこには自分の居場所は無いような感じがするのだ。
・・・
テントを撤収して、きのう来た道とおなじ道を戻っていく。駐車場と登山口を通りすぎ、ひと晩でだいぶ積雪がふえた誰の足跡もない林道をくだって、きのう猟師さんと会ったところを通り、村のおじいさんと話しをしたところまで帰ってきた。稲子の家々の屋根はすっかり雪をかぶって真っ白になっている。そのすぐ横の斜面にはおじいさんの散歩道が今日もうっすらと続いている。
集落の道にでて、それから畑のところで右手を見あげると、今朝登れなかった白いてっぺんが今日も見えた。きのうより、もっとずっと白く輝いているように見える。その白い頂に深く頭をさげて、それから集落のほうにももう一度、お辞儀をする。凍った車道のはじっこを滑らないようにくだっていって、子供たちが畑仕事をしていたところを通りすぎ、きのうの朝、駅を出た時にお詣りをした神社のところまで帰ってきて、そこでもういちど、山と集落に最後のお礼を言って頭をさげる。
神社の階段をおりて道をわたると、とうとう小海線の踏切ときのうの朝おりたった無人の駅が見えてきた。ああ、帰ってきたなあ。そう思うけれど、でもそうだ、今日はここからまだ列車を乗り継いで東京に戻ったあとに、1時間半の夜道の自転車漕ぎが待っているのだ。。
「山、行ってきたのおー?!」
突然、右後ろからそんな大きな声がして振りむくと、車に乗った村のおかあさんが運転席から満面の笑みをうかべて、こっちに車を走らせてくる。
「偉いねえー!これあげるー!!」
減速した車の窓から唐突にさしだされたおかあさんの手の上の袋をとると、子供の頃によく食べた懐かしいニッキ飴の袋だった。
「もう半分くらい食べちゃったけどー!!」
おかあさんはそんなふうに言って、袋から手を離し、あははーと笑いながらぐいんと車を加速させた。車は目のまえの小海線の踏切をわたって右に進路を変え、線路に沿った道を走っていく。
「ありがとうございまーす!!!」
あまりの突然の出来事にやっとそれだけ言って、大きく大きく力いっぱい手をふった。おかあさんは車の中から笑いながらこっちをふりかえって、それからちょっと手をあげて、もうすっかり西へと傾いた静かな光のほうへ、ぐんぐんと遠ざかっていった。

もしも自分に感性なんてものがあるならば、それは手放そう。それはぜんぶ放り捨てよう。
そうじゃないとつくれない。つくりたい建築はきっと自分にはつくれないんだと、あるときそう思って、
数年前この雑記を書くのをやめました。
これからまた、しずかに書いていきます。

お施主様のご厚意で芹沢の家の内覧会を開催させていただけることとなりました。
場所は神奈川県茅ヶ崎市。日時は8/10,12の二日間。
もしご興味を持ってくださるかたがいらっしゃいましたら、どなたでも是非お越しください。
メールにてお名前・参加予定日をお知らせいただければ、折り返し住所などをご連絡させていただきます。

芹沢の家、2023年夏の上棟から2024年夏の足場解体までの記録写真を「手がけたもの」にUPしました。
今回も写真は金田幸三さんです。

芹沢の家の写真をホームページに掲載しました。2021年冬から2023年夏の上棟までの700日あまりの日々
撮影はすべて金田幸三さん。主な撮影場所は那須の建築工房槐さん、大田原の坂本材木店さん、
ものづくりの現場は、
ひかりの加減で写真の裏側に隠れてしまったそうした見えない瞬間
現場は今週とうとう屋根が出来あがり、ここから先は竹を編み、

朝。さっきから目の端でちらちら動くものがあるなあと思って、斜面の下をまじまじと見た。むっくりとした黒い塊が、のそのそと斜面を移動していく。。
よく見るとそれは自分の影で、そのことになんだか不意をつかれた感じがした。なんとも冴えない感じのその影は、これからのろのろと稜線に沿って歩いていくところのようだった。登山者のひとたちはまだこのあたりに登ってくる前で、おだやかな風以外には動くものはなんにもなかった。

夜明け前、ざあざあと天幕を打つ音はてっきり雨だと思っていたけれど、いざ外に這い出してみると、黒い雨具の表面を真っ白い雹がぱらぱらと滑っていった。
テントをたたんで山頂を越えて、それから北側の森に入ると、その雹はさらさらとした質感に変わり、しばらくするとしっとりと柔らかな雪になって、沢沿いの道の滝のところにさしかかるころにはあたりは一面の真っ白な雪景色になっていた。
きのうの昼間はあんなにも暖かく晴れていたというのに、冬はもう、その森の小径のところまで歩いてきてしまっていて、なに食わぬ顔をして静かに山に座っていた。

あれほど大事そうにベースを抱えて弾くひとは他には絶対いないと思っていたけれど、何人かの人の背中ごしに5カ月ぶりに見たそのひとは、重たい音を弾くたびにググっと強く左足に力を入れて、足元の地面を踏みしめていた。
あんなにも強く地面を踏みしめたことは今まで一度もないかもなあと思って、演奏を聴いているあいだ、何度か自分でも同じように足元の地面を踏んでみた。地面を強く踏めば踏むほど、その反発で自分の身体がグイッと強く浮き上がる。踏みしめた地面が、何かの力を自分にくれる。
ステージの上のそのひとは、靴底の下にある地面から浮き上がってくるその力をそっくりそのままベースに乗せて、ステージの隅でひとり黙々とその音を鳴らそうとしているのかもしれない。まるで大切なひとの宝物を預かっているかのように大事に大事に抱えられたベースの、そのもっとずーっと下のほうの暗がりで、青いアディダスの靴が何度もわずかに上下に揺れる。
あんなふうに暮らしていけたらなあ、と思った。

夕方、ヒュッテの脇の水場のところまで、水を汲ませてもらいにしばらく池の横の道を歩いて行くと、小屋番さんがぽつねんとひとり、小屋の前のテーブルに寄りかかって山を見上げていた。
「だーれもいないと、さすがに心細いもんでしょ。」
山を見上げる姿勢を崩さないままに、ちょっとはにかみがちな小屋番さんがニヒルにそう言うから、いやいやむしろこれが良いから今日来たのですと言うと、うちは日曜に弱いからねと言って小屋番さんが小さく笑った。今日は小屋泊まりのひとも誰もいなくて、ヒュッテには小屋番さんがひとりらしい。
しばらくよもやま話をさせてもらってからテントのところに戻ると、さっきよりも深い霧がでて、鳥たちも鳴きやんだ無人の池のまわりはすっかり静寂の中に沈んでいた。時たま小さな動物が鳴く以外は、あんまりにもなんの音のしないその晩は、おそろしいくらいぐっすりと眠れる夜で、そのままうとうとと眠っているうちに朝になった。
池の反対側のヒュッテから目覚まし時計の音が聞こえてきて、バンっと強くその時計が止められる音がした。小屋番さんもきっとちょっとだけ寝坊をしていま起きたのだなと思うと、なんだか可笑しい。池のところに溜まっていた霧がだんだんと薄くなってきて、森のほうに流れていく。その霧の中を朝の光が通りぬけていこうとする。光はいま、池のうえにあって、とても誰かの手の届くものではないかのように見えた。

いつのまにやらやってきて、忘れたころに去っていく。なんの合図も、なんの約束もなく、ふらっと一寸やってきて、ふらふらそのまま流れていく。行きつく先も帰りつくあてもない。秋には秋の言い分というものがあるわけだろうけれど、それはどこかの街角の居酒屋に競馬新聞片手にするりとやってきては去っていく千鳥足のおじさんの自由にも、なんとなく似ていなくもない。

9月の雨の日。だれもいないかと思ったけれど、おんなじ道をおんなじペースで歩いていくひとがひとりいて、そのひとと巻き道のたびに静かに前後しながら、ぬかるんだ道をてくてくと進んだ。
小屋のところでは、くすんだ色をした木製の古い机と椅子が、まだ夏の名残りのあたたかさの残る白い雨にしずしずと打たれていた。晴れた日にはたくさんのひとの賑やかな声で溢れているのであろうその古い木の家具たちには、その日は誰も座っていない。あたりは雨の音でしーんとして、なんだかどこか教会のようだった。

歩いていくと、嘘がすくないなと思う。
このあたりには、見せかけの飾りやもっともらしい誘い文句がすくないなと思う。
けれども、わからない。草は草にしかない方法でさらりと身軽に虫たちをあざむいているのかもしれないし、木は木にしかない方法で鳥たちを誘いだしているのかもしれない。
けれども、なんにも知らないにんげんは、その草の上を呑気にてくてく歩いていって、水がしずかに流れたり、風がざわざわと通ったりするたびに、ああ、なんだかこのあたりは、嘘がすくないなと思う。

持たないこと。工夫をすること。見上げること。

未踏の岩壁を登攀したり、誰も見たことすらない渓を遡行したり。そのような場所を自分の足で踏んでいくことに情熱を燃やしたひとたちの文章を読んでいると、素直に心から憧れる。ほんとうにすごいと思う。
では自分はどうだろうと考えると、自分自身はそんな道を辿る技術も経験も勿論まったくもってないけれど、自分にとってのそれは、たとえば多くのひとが見過ごしてしまう静かな山の脇道や、忘れられた古い小径や、誰もいない小さな岩の連なりだったりもするのかもしれない。
それってなんだか、建築について思うこととおんなじだなと思う。自分がやりたい仕事とおんなじだなと思う。つくりたい建築は、自分の歩きたい道に、いつまでたってもやっぱりとてもよく似ているから、だからこんな地味な道を懲りずに何度も歩いてみたいと思うのだろうか。
、、、などということを考える暇なんて勿論ないくらい、バテバテになりながらブツブツひとりごとを言いつつ登った岩の連なりの上からの、その日歩いた静かな稜線。

いろんな色があって、ひとに踏まれた気配があって、ちょっとだけ秋がある。

東京があんまりにも暑かった8月のある日、自宅の部屋とは20℃くらい気温が違うであろう山の上の涼しいテントの中で、眠りすぎて寝坊をした。
池のところに行くと、頭の赤いきれいな鳥が2羽、せっせと何かをついばんでいた。きのうはそこにリスがいて、夜には鹿が何度か鳴いた。小屋のひとは結局その日は来なかったから、峠のほうで激しく吹いている風の音をのぞけば、とても静かな夜だった。
テントをたたんで、峠にむかってとぼとぼ登っていくと、昨夜のテント場で一緒だったひとが引き返して戻ってくる。森林限界を抜けると今朝は強風がすごいから、今日は潔く目当ての山を諦めるという。「これで2度目の撤退」と言って、すがすがしい顔でそのひとは池のほうへと早足で下っていった。
峠にでて、それから森林限界をぬけない道を歩いて風裏を行く。途中ですれ違って話をしたおじさんは「今年の山小屋の値段は、ほんとに暴騰だよなあー」とかなんとか、しきりに愚痴を言いながら、テントを背負った背中はうきうきと楽しそうだ。今日は前に来た時のリベンジなのだという。帽子につけたオニヤンマくんがルンルンと風にゆれている。
ふたつほどピークを越して、それからもうひと登り、赤石のまじったガラガラの急坂を登っていったところの山頂で、この日すれ違ったひとたちとは、すこし感じのちがうほっそりした年配のご夫婦が、ゆっくりとした足取りでむこうから歩いてくるのが見えた。
山頂は樹林帯の中だから、そこから少し外れたところの見晴らし場まで一足先に行ってみる。誰もいない見晴らし場はものすごい暴風で、一面のガスが真っ白にたちこめて、眺望はまるでない。雲が、とてもはやく流れている。
しばらく待ってみようかと岩の上に身をかがめて座っていると、先ほどのご夫婦が樹林帯の出口のところから出てきて、強風とガスの中に立っている。なにかをしゃべっているけれど、風の音でこちらには何も聞こえないし、その姿もガスのむこうに霞んでいる。雲が行ってしまうまで何か食べ物を食べていようかなあと思ってもぞもぞとザックの中をのぞきこんでいると、ぐおーーっとさらに強い風が吹いてきた。
「晴れた!!」
雲と風をつんざいで奥さんの明るい声が響いてきて、顔をあげると一面の、見事な蒼い山々だった。

前に来たときはまだ雪がのこっている頃だったから、7月も終わりに近づく真夏日に見る三角形のあの山は、きっとモクモクの入道雲の下だろうと決めこんで、地味な急坂をせっせと登った。
樹林帯をぬけだして、ぱっと視界がひらけたとき、むこうの三角は流れる雲の中にかくれて姿を消していた。休むような場所があるわけではないから、その場に立ったまま水を飲んだり食べ物を食べたりしてモゾモゾしていると、ごうごう吹く風の中からほんの一瞬、三角が顔をだした。分厚い雲がきれて、薄くて蒼い霧のようなものになり、三角のまわりをおおって、そのうえに青空が浮かんだ。
あっ。と思う間もなく薄い雲はふたたび分厚さを増して、白のなかに三角を消し去った。なにかを考えたり、見えたものを言葉に置き換えたりする暇なんてないくらいの、わずかな時間。けれどあれは、なんだかなつかしい時間だった。

するすると流れたり。くるんと巻いて漂ったり。
ぽっ。と小さく火のついた線香の煙のような。
どこかへ向かっているかのようで、どこにも向かっていないかのような。

トレーシングペーパーに描いた図面は、たしかに自分自身の右手右指が描いた線だから、それはそれなりにひとまずは確からしい。
けれどその線は薄くて透明でつるつるとした紙にシャープペンシルで描いたものだから、ほかの紙と重ねてしばらく置いておくうちに、紙と紙がこすれて段々と薄くなる。描いた当初はキリっとシャープだったはずの鉛の線は、他の紙に押しつけられたり、流されたりしているうちに、いつしかぼうっと曖昧になる。はっきりとしていたはずのものが、はっきりとしなくなる。確かだったはずのものが、ゆっくりとどこかに遠のいていく。
確からしさを持っていたはずのものが1枚の紙の上でどこかに紛れて消えていこうとするときの感じは、朝には見えていたはずのむこうの稜線が気づかぬうちに空気のなかにぼやけて見えなくなるときの感じにも似て、さりげなく、のんびりとして、静かだ。翼をひろげた知らない鳥が、その羽を動かすこともなく、悠々と飛んで、遠近法のむこうに小さくなっていくような、なんだかそんな気配もする。