水蒸気

山のうえの霧とか、川のほとりの水蒸気とか、
湿り気のある環境の、水につつまれるような心地よさと、
視界がぼやけるがゆえの不思議な安息感は、やはり、何ものにも代えがたい。

乾いた空気の下では、いろいろなものの形や輪郭や音が
くっきりと明瞭になりすぎているのかもしれず、
霧の中では、水の粒子がその尖った輪郭をぼんやりとやわらげてくれるからこそ、
そんな穏やかな心地よさが体感されるのかもしれないなあ、などと思います。

うまく説明できないのですが、なぜかそこに、大地を感じます。

外灯

夜の港にでる道。

耕すひと

尊敬するひとが、いろいろな土地にいる。

そのひとたちの暮らす場所を訪ねさせていただいているうちに、
自分が尊敬するのは、なにかを「耕している」ひとなのではないかと、
最近、ふと気がついた。

土を、畑を、森を、あるいは庭を、
自分の身体をつかい、太陽の下で黙々と耕すひと。

そして、そのひとたちが丁寧に、地道に、心をこめて耕してきた土地のうえに、
ある日突然、そんなことなど全く気にもとめぬ顔で、ピカピカの建物が建てられる。

「建築をつくること」と「耕すこと」の間には、途方もなく大きな溝があって、
その溝はどんどんどんどん大きくなっていく。

その間に、なんとかして、小さな小さな橋を架け渡すことができたら良いのに。

そんな考えをぼんやりと、でも確かに抱きながら、
毎日を暮らし、設計をしていきたい、と思った。

更新

「勝浦の家」のページの写真を更新しました。

建築写真は並び順や構図をほんの少し変えるだけで、
その建築の印象が大きくガラっと変わることがあって、
それはとても楽しくもあり、同時にとても気をつかうところでもあります。

その建物での暮らしや、その建物をつくった職人さんたちのことを、
写真をつかってシンプルにきちんと伝えるにはどうしたら良いか、
毎回、ぼんやりと考え込んでは、少しずつ手直しを加えてみています。

欅の木

夏。見事な立ち姿のケヤキの木。
すっと立つ幹のうえに、ぱあっと広がる、まあるい形。

ひとがつくる家も、この木のように雄大に、
おおらかに佇むことが出来たら、どんなに素晴らしいだろう。

手仕事のひと

少し前に行った、あるお寺の境内の庭。

照りつける太陽の下、麦わら帽子姿のひとが2人、
地面に膝をついて懸命に庭の手入れをしていた。

その人たちの後ろ姿は、やはりとても美しかった。

庭も建築も、そんな黒子のような人たちの
丁寧で懸命な手仕事の力によって生かされている。

自分の携わってきた建物も、当然のことながら、
同じようにいろいろな職種の人たちの見えない手仕事の集積によって、
この世界になんとか建っている。

そのことを、その人たちのことを、
どうやったらうまく、ちゃんと、伝えられるだろうか。

花火

7月の夜、山頂から周囲を見渡していた時に、
山の裾野近くの町で花火があがった。

何発もあがったその花火は、山から見ると驚くほどに小さく、ちっぽけで、
どこか愛らしい感じがした。

ゆらゆらと広がる大地のなかに浮かんだ花火は、
いつもよりも真ん丸に見えて、幾何学的だった。

カメラをむけると瞬く間に消えてしまった。