秋の自由

いつのまにやらやってきて、忘れたころに去っていく。なんの合図も、なんの約束もなく、ふらっと一寸やってきて、ふらふらそのまま流れていく。行きつく先も帰りつくあてもない。秋には秋の言い分というものがあるわけだろうけれど、それはどこかの街角の居酒屋に競馬新聞片手にするりとやってきては去っていく千鳥足のおじさんの自由にも、なんとなく似ていなくもない。