夕方、ヒュッテの脇の水場のところまで、水を汲ませてもらいにしばらく池の横の道を歩いて行くと、小屋番さんがぽつねんとひとり、小屋の前のテーブルに寄りかかって山を見上げていた。
「だーれもいないと、さすがに心細いもんでしょ。」
山を見上げる姿勢を崩さないままに、ちょっとはにかみがちな小屋番さんがニヒルにそう言うから、いやいやむしろこれが良いから今日来たのですと言うと、うちは日曜に弱いからねと言って小屋番さんが小さく笑った。今日は小屋泊まりのひとも誰もいなくて、ヒュッテには小屋番さんがひとりらしい。
しばらくよもやま話をさせてもらってからテントのところに戻ると、さっきよりも深い霧がでて、鳥たちも鳴きやんだ無人の池のまわりはすっかり静寂の中に沈んでいた。時たま小さな動物が鳴く以外は、あんまりにもなんの音のしないその晩は、おそろしいくらいぐっすりと眠れる夜で、そのままうとうとと眠っているうちに朝になった。
池の反対側のヒュッテから目覚まし時計の音が聞こえてきて、バンっと強くその時計が止められる音がした。小屋番さんもきっとちょっとだけ寝坊をしていま起きたのだなと思うと、なんだか可笑しい。池のところに溜まっていた霧がだんだんと薄くなってきて、森のほうに流れていく。その霧の中を朝の光が通りぬけていこうとする。光はいま、池のうえにあって、とても誰かの手の届くものではないかのように見えた。