冬の座り

夜明け前、ざあざあと天幕を打つ音はてっきり雨だと思っていたけれど、いざ外に這い出してみると、黒い雨具の表面を真っ白い雹がぱらぱらと滑っていった。

テントをたたんで山頂を越えて、それから北側の森に入ると、その雹はさらさらとした質感に変わり、しばらくするとしっとりと柔らかな雪になって、沢沿いの道の滝のところにさしかかるころにはあたりは一面の真っ白な雪景色になっていた。

きのうの昼間はあんなにも暖かく晴れていたというのに、冬はもう、その森の小径のところまで歩いてきてしまっていて、なに食わぬ顔をして静かに山に座っていた。

地面の踏みかた

あれほど大事そうにベースを抱えて弾くひとは他には絶対いないと思っていたけれど、何人かの人の背中ごしに5カ月ぶりに見たそのひとは、重たい音を弾くたびにググっと強く左足に力を入れて、足元の地面を踏みしめていた。

あんなにも強く地面を踏みしめたことは今まで一度もないかもなあと思って、演奏を聴いているあいだ、何度か自分でも同じように足元の地面を踏んでみた。地面を強く踏めば踏むほど、その反発で自分の身体がグイッと強く浮き上がる。踏みしめた地面が、何かの力を自分にくれる。

ステージの上のそのひとは、靴底の下にある地面から浮き上がってくるその力をそっくりそのままベースに乗せて、ステージの隅でひとり黙々とその音を鳴らそうとしているのかもしれない。まるで大切なひとの宝物を預かっているかのように大事に大事に抱えられたベースの、そのもっとずーっと下のほうの暗がりで、青いアディダスの靴が何度もわずかに上下に揺れる。

あんなふうに暮らしていけたらなあ、と思った。

池のうえ

夕方、ヒュッテの脇の水場のところまで、水を汲ませてもらいにしばらく池の横の道を歩いて行くと、小屋番さんがぽつねんとひとり、小屋の前のテーブルに寄りかかって山を見上げていた。

「だーれもいないと、さすがに心細いもんでしょ。」

山を見上げる姿勢を崩さないままに、ちょっとはにかみがちな小屋番さんがニヒルにそう言うから、いやいやむしろこれが良いから今日来たのですと言うと、うちは日曜に弱いからねと言って小屋番さんが小さく笑った。今日は小屋泊まりのひとも誰もいなくて、ヒュッテには小屋番さんがひとりらしい。

しばらくよもやま話をさせてもらってからテントのところに戻ると、さっきよりも深い霧がでて、鳥たちも鳴きやんだ無人の池のまわりはすっかり静寂の中に沈んでいた。時たま小さな動物が鳴く以外は、あんまりにもなんの音のしないその晩は、おそろしいくらいぐっすりと眠れる夜で、そのままうとうとと眠っているうちに朝になった。

池の反対側のヒュッテから目覚まし時計の音が聞こえてきて、バンっと強くその時計が止められる音がした。小屋番さんもきっとちょっとだけ寝坊をしていま起きたのだなと思うと、なんだか可笑しい。池のところに溜まっていた霧がだんだんと薄くなってきて、森のほうに流れていく。その霧の中を朝の光が通りぬけていこうとする。光はいま、池のうえにあって、とても誰かの手の届くものではないかのように見えた。

秋の自由

いつのまにやらやってきて、忘れたころに去っていく。なんの合図も、なんの約束もなく、ふらっと一寸やってきて、ふらふらそのまま流れていく。行きつく先も帰りつくあてもない。秋には秋の言い分というものがあるわけだろうけれど、それはどこかの街角の居酒屋に競馬新聞片手にするりとやってきては去っていく千鳥足のおじさんの自由にも、なんとなく似ていなくもない。

雨の椅子

9月の雨の日。だれもいないかと思ったけれど、おんなじ道をおんなじペースで歩いていくひとがひとりいて、そのひとと巻き道のたびに静かに前後しながら、ぬかるんだ道をてくてくと進んだ。

小屋のところでは、くすんだ色をした木製の古い机と椅子が、まだ夏の名残りのあたたかさの残る白い雨にしずしずと打たれていた。晴れた日にはたくさんのひとの賑やかな声で溢れているのであろうその古い木の家具たちには、その日は誰も座っていない。あたりは雨の音でしーんとして、なんだかどこか教会のようだった。