稜線

朝、1時間ばかり電車に乗って、はじめての駅におりて改札を通って外へと出たとき、道のむこうにくっきりと、ある山の大らかな稜線が見えた。

次々に車の通りすぎる大通りを歩いて駅から目的の場所へとむかう道すがら、その稜線は2階建ての家やビルの影にかくれてすっかり見えなくなってしまったのだけれど、目的の場所に着いたとき、畑のむこうにもう一度その山の稜線がぽかーんと大きく浮かんでいるのが見えた。

ずーっとむかしのある時にも、あの稜線をこの場所から見ていたひとがいたのだろう。そのひとはきっと地面の土を耕しながら、あの稜線を仰ぎ見ていたのだろう。なんだかそのことを忘れずにいようと思った。

川沿いのみち

上流から何度かのゆるい蛇行をくりかえした川は、ちょうどそのあたりでまっすぐに西から東へと流れの方向を変えて、その川に沿って両側にまっすぐな細い道がつづいている。南側にはケヤキ並木が、北側には大きな木々の生えた古い家が並んでいるから、東西の方角にだけ空がぬけている。

このまえのある日、いつもそうするように、その川に沿って西のほうへと歩いていって、それからしばらくして東のほうへとてくてくと歩いて戻ってきた。きーんと空気が冷えはじめた秋の夕暮れで、西の空にはムクドリの群れが羽ばたいて、東の空にはまん丸い月がぽかんとひとつ浮かんでいた。

ムクドリたちは西のほうへと飛び立ったかと思うと、ぐるりと旋回して、また同じ古い大きな木の上のほうへと戻ってくる。するとその木の中でヒヨドリとオナガがざわめいて、ムクドリを追い払う。追われたムクドリたちはまた西の空へと羽ばたいて、それからぐるりと旋回して、そうしてまた、ヒヨドリとオナガが大声でざわめきだす。

その様子を見ていたのか、あるいは気にもとめていなかったのか、木の下のあたりの川から一羽の大きなシロサギが飛びたって、川沿いを西のほうへと飛んで、それからやはりぐるりと旋回して、東のほうへと戻ってくる。すーっと下降した白い翼は、川のへりの下へと見えなくなって、音もなく水のうえへと滑りこむ。

二羽のカモが東のほうから水平に飛んできて、真っ赤に燃えた西の空をまっすぐに見すえながら速度をあげていく。川のほうを見下ろすと、また別のカモが二羽、ゆるやかな流れに乗るようにして水の中を東のほうにすいーっと静かに進んでいく。

川と道のへりのところから何かの雑木が川に向かって生え出して、川面に小さな木陰をつくっている。水中を行く二羽のカモは夕陽に照らされた明るい水面から、その小さな雑木の影のほうへとゆっくりと後ろ足を漕いで、それからその木陰の中にすいこまれる。カモの背中で夕方の光と葉っぱの影がちらちらとゆれる。

「細長い世界だね。」

すぐ横を通りすぎていった小さな女の子が、手を引いて歩く母親のほうをむいて、そんなことを言っているのが聞こえた。

山のひと

山を歩いている見知らぬひとを無闇に写真におさめることを慎もうと思う気持ちは、ふと訪ねた旅先の小さな教会の内部をカメラに写すことをためらう気持ちと、どこかとてもよく似ている。

山の上で日が暮れて、道の横になにげなくひとりのひとの影が浮かんだ。その影のあまりに純粋な形に思わずシャッターボタンを押してしまい、それから我に返り、影くらい、背中くらい許されるかな、、、とひとり悶々と苦しい言い訳を心の中にならべながらとぼとぼとテントのところに戻った。振りかえると、影はもうまっさらな夜の闇にのまれていた。

砂場のへり

美しいへりをした山のうえで、ある本の中に書かれていた「雲のへり」という言葉を、なぜだか何度も思いだしたことがあった。雲のへり、山のへり、町のへり。「へり」という不思議な2文字の響き。

小屋の近くには小さな公園があって、さっきそこを通りかかった時、何の気なしにその公園の砂場のへりにひょいと登ってみた。砂場の周囲をぐるりと囲う、わずか15センチほどの高さのちっちゃなへり。

その細いへりの上を、どこかの山のうえの岩場か何かだと自分に言い聞かせながら、落ちないように歩いてみる。誰もいない砂場の四周をぐるりと回って、もといた場所に戻ってくる。そうして、その小さなへりの上から砂場のむこうをなんとなく眺めたとき、自分の立っている砂場と、そのむこうの1本の木と、さらにそのむこうにある水飲み場とが、ひとつの軸線の上にすーっと揃えて配列されていることに気がついた。

小さなへりの上から見える砂場と木と水飲み場だけのなにげない風景は、完璧な左右対称をなしていて、そのさまがなんだか微笑ましい。ここに木を植えたのは公園課の職員さんか、はたまた植木屋さんか。それともまったくの偶然なのか。あるいは1本の木が自らの意思でこの軸線の上を自分の居場所と決めたのか。

道のほうから子供のはしゃぐ声がして、公園をめがけて全速力で駆けてくるのが目に入る。砂場にひろげた空想を片づけて、小さなへりから地面に降りると、その正対称の幾何学はふいっと静かにどこかへ消えた。