山のひと

山を歩いている見知らぬひとを無闇に写真におさめることを慎もうと思う気持ちは、ふと訪ねた旅先の小さな教会の内部をカメラに写すことをためらう気持ちと、どこかとてもよく似ている。

山の上で日が暮れて、道の横になにげなくひとりのひとの影が浮かんだ。その影のあまりに純粋な形に思わずシャッターボタンを押してしまい、それから我に返り、影くらい、背中くらい許されるかな、、、とひとり悶々と苦しい言い訳を心の中にならべながらとぼとぼとテントのところに戻った。振りかえると、影はもうまっさらな夜の闇にのまれていた。

砂場のへり

美しいへりをした山のうえで、ある本の中に書かれていた「雲のへり」という言葉を、なぜだか何度も思いだしたことがあった。雲のへり、山のへり、町のへり。「へり」という不思議な2文字の響き。

小屋の近くには小さな公園があって、さっきそこを通りかかった時、何の気なしにその公園の砂場のへりにひょいと登ってみた。砂場の周囲をぐるりと囲う、わずか15センチほどの高さのちっちゃなへり。

その細いへりの上を、どこかの山のうえの岩場か何かだと自分に言い聞かせながら、落ちないように歩いてみる。誰もいない砂場の四周をぐるりと回って、もといた場所に戻ってくる。そうして、その小さなへりの上から砂場のむこうをなんとなく眺めたとき、自分の立っている砂場と、そのむこうの1本の木と、さらにそのむこうにある水飲み場とが、ひとつの軸線の上にすーっと揃えて配列されていることに気がついた。

小さなへりの上から見える砂場と木と水飲み場だけのなにげない風景は、完璧な左右対称をなしていて、そのさまがなんだか微笑ましい。ここに木を植えたのは公園課の職員さんか、はたまた植木屋さんか。それともまったくの偶然なのか。あるいは1本の木が自らの意思でこの軸線の上を自分の居場所と決めたのか。

道のほうから子供のはしゃぐ声がして、公園をめがけて全速力で駆けてくるのが目に入る。砂場にひろげた空想を片づけて、小さなへりから地面に降りると、その正対称の幾何学はふいっと静かにどこかへ消えた。