川崎市役所へ。今月は仕事では緑豊かな場所ばかりに行っていたので、久々のモダンな大都会。次第に延びてきた日の影を踏みながら、少しでも涼しいところを。
雑記
田んぼの中の古典
7月の半ば、出張先、敷地近くで見つけた切妻の小屋。
正対称の立面、十字型の窓、素っ気なくあけられた穴のような出入口。外壁と屋根の色味の選択も素晴らしい。
どことなく建築家アルド・ロッシのドローイングを思わせるような簡素な古典主義的構成と、田んぼの海に浮かぶ静謐で不思議な存在感が、こちらの目を惹きつけます。
台風のあと
どこかマグリッドの『光の帝国』という絵にも似た、絵の具で塗られたような夕方の空。
風景の解像度
静かな集落の中の小さな小さな用水路のまわりに集まる、多種多様な植物たち。
この1枚の写真の中に、いったい何種類の植物がいるのだろう。見慣れた風景を高い解像度で見て、理解することができるだけの知識と経験を、身につけたいのです。
雲の気配
ゆっくりと空を覆う夏の雲。
暗がりと明るさの濃淡と、静かに変化する気配と質感。雲の表情の一瞬一瞬の中にある、凡庸でありふれた、しかし他の何よりも鮮やかな景色。見ていて飽きることがないです。
人のつくる空間も、できればそんな鮮やかな凡庸さと瑞々しい気配とを兼ね備えたものでありたいなと、いつも思います。
陽の仕事
たまたま古本屋で手に取った詩集。あまりに素晴らしかったので。
学生時代にリチャード・ブローティガンという作家の詩の虜になって以来、古本屋で時たま買いためてきた詩集たち。石垣りん、中野重治、レイモンド・カーヴァ―、高田敏子、八代信、長田弘、茨木のり子、、、それから、大好きな山之口貘。ふと気づけば、本棚の中にじわじわと古い詩集たちが増殖しています。
古本屋でふとした瞬間に見かける詩集たちは、知らない街で出会う名もない建物たちに、どこか似ている気がします。
コンクリートの庭
通りかかった団地の庭にて。
転用され反復されたコンクリートと小さな緑地と、その中にまだ残っている人の手の痕跡。そして、どこかちょっとユーモラスな風情も感じさせます。
街の足元で、創意し、工夫を凝らすこと。
川に沿って
新しい案件の打合せで自転車にて小金井へ。自宅から神田川に沿って上流まで約40分、そこから玉川上水に沿って30分程の、川沿いの道中をふらふらと。
日頃から自転車で東京を右往左往していると、川沿いの道は信号が無く、木影と風が涼しく、走りやすくて、快適な自然の高速道路のように感じます。
長生村、役場近く
書類提出のため、長生村、村役場へ。
蜃気楼が見えそうな暑さの中、八積駅から村役場まで往復40分程の道中を歩く。すれ違ったのは草刈りをする農家の方が2名ほど。他に出会うのは見渡す限りの田んぼと林と点在する家。房総の平野の風景。
重心は低く
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館のカフェスペース。
鮮やかなブルーの床面と天童木工の家具の色合いとが調和し、居心地の良いしっとりとした空間がつくられていました。開口部まわりのガラスブロックの使われ方も印象的。窓際は天井がぐっと下げられて、外に向かう視線の重心が落とされ、そのこともまた空間に落ち着きと静けさを与えていたように思います。
美術館の内部では、他の場所でも下がり壁や腰壁によって、絶妙に人の重心や視線の行き先がコントロールされていて、そのような丁寧な設えの積み重ねによって、美術館全体の凛とした抑制された雰囲気が生み出されているように感じました。
整理すること
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館。街中のアーケードが建物の中に引き込まれたかのような気持ちの良い半屋外空間。余分なものが取り除かれた美しい光と壁。
既存の環境やものごとの成り立ち方を解釈し、削ぎ落し、整理していくことで生まれる空間のあり方について考えさせられました。
埠頭の背中
夕暮れ時の高松港にて。
2つの窓
とある街角で見かけた木製の素朴な両開き窓。
ここだけ切り取ると、日本の風景ではないような雰囲気。庇の形状が面白い。壁への窓の「埋め込まれ感」も良い味を出しているように思います。
アーケード
高松、晴れた午後のアーケード。時間が停まったような雰囲気。
遠い時間の遠い場所の行ったことのないどこかの街への憧れのようなもの。そんな感情が日本の街中のアーケードの源にはあるのかもしれないなと思います。
街の足もと
何の変哲もない普通の道端の色と形。
「さりげない」とか「あるがまま」とかというものとは少し違う、都市の街角に佇む「無造作」で「なされるがまま」のものの放つ力。人知れず存在する小さなものが持つ静かで強い意思の形。彼らが訴えかけてくるもの。
いつもどこかに転がっている、そんなものの在り方に学びたい。
波打ち際
飛行機の窓より。波打ち際のような雲の様相。海のような空。波のような雲。
砂漠に線を引くように
香川県、現場の地縄張り。砂漠のような平坦な地表面にすーっと延びる白いライン。
地縄張りの時は、これから建てる建物が最も小さく狭く感じる瞬間で、ここに基礎を打ち、軸組ができ、壁が張られていくと、次第に建物は広く大きく見えるようになっていきます。
逆に言えば、地縄張りの瞬間が、その土地とこれから建てる建物とが最も素直な状態で対峙していると言えるのかもしれません。