森の底から。空をあおいで。

立ち姿

どこがいいのか言葉にするのは難しいけれど、これは自分的には好きな写真のひとつ。
ちょっと笑ってしまうくらい、見事にこんがらがっていらっしゃる。。。可笑しみと哀愁さえ感じるこんな立ち方もまた、人みたいでいいな。tungled up in white。

骨格

雨の日。風の中で立ち枯れた1本の木が、あまりにも崇高で、近くで見上げることを思わず躊躇ってしまうほどだった。こんな骨格をたずさえた建築を、一度で良いからつくってみたいと思った。この木のように立てたら、どんなに素晴らしいだろうなと思った。

静かなところ

ただ奥へ奥へと道を歩くと鎮まるものがあるように、図面を描くために手を動かすと鎮まるものがあって、良いなと思う。そんなわけで、たくさんの線と数字で埋め尽くされた鉛色の図面を描いていると、まるで深い森のなかを彷徨っているかのような気分になることも、時にはあったりもする。些細な空想。

若い頃よく読んだ小説のひとつに「緑したたる島」という名前の短編がある。
小説の内容そのものも勿論とても好きなのだけれど、そのタイトルがそれ以上に本当に素晴らしい。

「緑」も「したたる」も良いのだが、なんといっても「島」がいい。
もしあの短編のタイトルが「緑したたる町」とか「緑したたる森」とかであったとしたら、その魅力は自分にとっては半減してしまいかねない。

「緑」が「したたる」のが「町」や「森」のような確たる場所ではなく、「島」というどこか遠くの儚い場所、流れ着く場所であるからこそ、現実世界から切り離された孤立したもののイメージがぼんやりと浮かんでくる。「島」という言葉に水や波のさざめくイメージが含まれているからこそ、「したたる」の言葉が生き生きと意味を帯びてくる。「島」という言葉にはどうやら自分を惹きつける不思議な力がある。

、、、というような、なんだか誰にも伝わらなさそうなことを、事務所へむかう玉川上水沿いの緑道を歩きながら考えた。雨の日の薄暗い湿原の池糖や浮島をぼーっと眺めに行きたいなあ、と梅雨空の下で思う。

背景

花を見る時に、その花の背景の暗がりのようなものに目がいくことがふえた。
なぜだろう。この花の背景も、なんだかとても静かだった。
寡黙な暗がりにささえられた、儚い幾何学のような明るい花。

わからない

わからないものは、わからないままでいい。わからないものを、わかったふりをして、わかったことにしてしまうことは、できるだけ避けたい。わからないものを、わからないままで「なんだか全然わからないけれど凄い!」と言えるままでいたい。

深夜。ある古いSFの短編を久々に読んだ。10年ぶりくらいに読んだ。

それは今の自分にも相変わらず全くよくわからないままであり、そして全くよくわからないくせにやっぱり震えがくるほど素晴らしかった。10年前とほとんど同じように、頭のなかに意味不明の電気的な稲妻のようなものが浮かんで消えた。目の前を言葉が疾走して、ホワイトアウトした砂浜の上で、はじけ飛んだ。なんだか少しホッとした。

わからないものは、わからないままでいいし、できることなら、わからないままでいたい。

ラーメン屋さん

いつだったか、最近のことではあるが、ラーメン屋さんのことを考えた日があった。自分がたまに行くラーメン屋さんの中に、たった1種類のラーメンの味だけを突き詰めている店があって、その店のひとのことをおぼろげに考えた日があった。

たったひとつのメニュー、たった1種類のラーメンの味を研究し、微調整をくりかえし、磨きあげ、つくりつづけることの中に、そのひとの生活があるということ。
あるいは、たったひとつの事を目指し、思い、つづけ、成し遂げ、きわめる、ということの中に、そのひとの人生があるということ。

たったひとつの事をやり続け、そのつくりかたを試行錯誤し、その先にあるたったひとつの味に思いを馳せ続けることのできるラーメン屋さんは、こころの奥が静かなひとでもあるのだろうか。。時にその静けさがスープの中に写しだされているかのように思えるのは、気のせいだろうか。。

などということを、なぜだかその日は考えた。たったひとつの事をつづけるということの尊さを思った。それはどんな表現でもどんな仕事でも、あるいはきっと建築でも、同じだろう。つづけること。ラーメン屋さんのように、ひとつのものを見上げて、つづけること。