見上げること

道をふさぐ蜘蛛の巣の完成度を見れば、どのくらい前にその道をとおったひとがいたのかがなんとなく分かるものだけれど、その日の朝の山道には、思いのほか整った幾何学を携えた透明な糸の群れがいくつも風にゆれていた。

ひとつめの小さな滝を横目に、水の流れを遡るようにして細い道を登り、ドウドウと音をたてて流れ落ちるふたつめの大きな滝の足元の石をつたって、滝つぼのむこうにつづく土の道へと渡る。蜘蛛の巣の下をくぐり、時にはその主にお詫びを言いながらゴロゴロとした急な斜面を登っていくと、荒れたガレ場の先に3つめの滝があった。

20m近い落差があるにもかかわらず、その滝の水はおどろくほど静かに、岩を撫でるようにしてなめらかにすべり落ちている。特に滝のてっぺんのあたりの岩をすべるときの水は、まるで絹のようななめらかさを持っていて、これまで見てきたどの滝ともちがう淡々とした静寂があざやかな新緑の隙間から零れおちてくるのが見える。滝つぼからそれを見上げる自分までもが無音になっていくような感じがする。

むかしのひとが、この滝の足元から見上げていたものは、たとえばこんな静けさだったんだろうか。滝つぼの脇のちっぽけな祠の暗がりには、小さなお酒の瓶がそっと置いてあった。

ベンチを据えたひと

新緑の道がゆるやかなカーブを描くところに、石垣につつまれた静かな暗がりがあって、その場所に小さな木のベンチがひとつだけ、ちょこんと置いてある。

ただそれだけのことなのに、その横をてくてくと通り過ぎていくだけの自分の中には、いつかの日におだやかな道の円弧のふくらみを見つめるようにしてベンチに腰掛けていたかもしれない知らない誰かの姿が、なぜだかぼんやり浮かんでくる。

そんなふうにして、通りすがりの人間に、見たことのないふつうの誰かの姿を想像させることのできる場所があることを、自分はうれしく思う。できることならば、あの場所にベンチを据えたひと自身も、ベンチに座って、あざやかに色づいた山桜の花を静かに眺めることができていたとしたら、うれしい。

きのう、事務所からのいつもの帰り道。このところずっとしーんと鎮まりかえっていた小さな小さなお店屋さんの古い引戸の隙間から、女将さんの屈託のない笑い声がひさしぶりに路上に漏れているのを横目にながめながら、なんとなくそんなことを思った。

チンゲンサイ

今朝のベランダ。

チンゲンサイの細い茎がひょろひょろと空中をのびて、窓ガラスに反射した光のなかにゆらゆらと揺れていた。茎のいろは先端にむかうにつれてみずみずしいグリーンを帯び、根元にむかうにつれてイエローの色味をましていて、それぞれの茎がすごした時間の痕跡を明るく浮かびあがらせているように見える。それらの色のグラデーションのてっぺんにはちっぽけな黄色い花が浮かんでいて、去っていった時間のうえにあざやかな「いま」を咲かせている。

遺跡とか巨木のような大きなものに刻まれた長い時間だけが時間なのではなく、この茎のような小さなものに刻まれた短い時間もまた、貴重な時間であることに変わりはない。細いものや小さなものは、その存在の弱さのぶんだけたくさんの余白を自分のまわりに生みだすことができるのかもしれず、その余白にこっそりと時間が入りこんで何かを饒舌に語っているところを、見逃してはいけないなと思う。

今朝の道

緑道の入口についたとき、奥のほうの水がパシャパシャと波打っているのが見えた。
ザックの中身をガサゴソとやってカメラを探してみたものの、昼飯の包みやら水筒やらが手の先に押し寄せては帰っていくばかりで、肝心のカメラはちっともみつからない。

仕方なく携帯をとりだして緑道を歩きはじめた頃には、もう玉川上水の浅い水を波打たせた主たちはどこかに去ってしまっていて、水辺はさっぱりと誰もいない。道のむこうに今日もまたガードマンさんが見える。

わずか数十メートルの緑道のつきあたりに、2週間くらい前からずーっと気になっていたひとつの綿毛があって、すこしの間それを眺めてみる。ぴーんと伸びた茎とパヤパヤのまん丸い綿毛。ほっそりとした幹のかげ。なめらかになびいている手前の草。

ガタンガタン。ゴトンゴトン。背中の後ろにある橋桁のホームに各駅停車が到着してドアが開く。その音に呼応するようにして、目の前の綿毛がぽわーんぽわーんとゆれる。軽いということの良さがふわっと一瞬、見えたような見えなかったような。なんだかそんな感じもした。

残響

春の数センチ手前。しずかな冬の最期の一瞬の、白の爆発。
今頃はもう、芽吹きはじめた新緑のやわらかい影にくるまれて、
すやすや眠っていたりするのかもしれない。

空間

暗い森をぬけた先に見えてきた雑木林には、なんだかえも言われぬ明るさがあって、サーっと自分が軽くなっていく。羽根があったらそのまま飛び立ててしまいそうなほどに。

暗いところがあって、明るいところがあって、そのなかをひとりの人間がトボトボと歩いていく。その繰り返しのなかで、言葉や頭ではとうてい掴まえることのできない、まっさらな空間みたいなものに出会えるような気がする。おはようございます。きょうもちょっとだけお邪魔します。

ピーツッツピーツ。シジュウカラがしきりになにかを喋りながら、目の前を横切って明るい若葉の余白にとびこんでいく。道がないから、きっとこっちには来られないんだよねー。そんなふうに言われているような感じがして、すこし可笑しい。

朝の木立

古い家の脇をとおって、細いみちを集落のいちばん奥までのぼっていく。
山の尾根へとつながっていくその道からひとつの土の道が枝分かれしていて、
そのむこうになんだか明るいものが見える。

朝のひかり。青い空気。
ちっぽけな鳥居をまもるようにして、すーっとまっすぐに空へとのびていく杉の木立。
一瞬こころがまっさらになって、思わず小さく手のひらをあわせた。

風のなか

きのうの朝。古い山の本をすこし読んで、それから事務所へ行って、机のまえ。
窓のほうからゆらゆらと生暖かい風が入ってきて、天板のうえをぼんやりと撫でていた。
さっきまで読んでいた本のせいだろうか。
けだるく流れていく風のなかに、なんだかちょっとだけ初夏の山を思った。

カタクリ

「毎年ちょっとずつ大きな葉っぱをつけて、
早くて7年、多くは10年くらい経ってから、ようやく花をつける。」

誰にも気づかれないような枯れ葉の中に、今年もカタクリがぽつねんと上を向いて咲いていた。
きみはほんとうにすごいよなあ。

どんなに自分の姿勢を低くしてみても目の前にある小さな花を見上げることはできなくて、
そのことがカタクリの存在の気高さを証明しているように思えた。