木の幻想

なぜそこに、たったひとりで生えているのだろう。
奥の森ではなく、なぜそこに。

その木がそこにたったひとりで立っているということは、たぶん、いつか遠くの時間にその場所で起こった何かの痕跡をあらわしているに違いない。

そこには川が流れていたのかもしれないし、池があったのかもしれない。あるいはかつてそこには雑木の群れがあって、他の木々はたまたま洪水によって流されたのかもしれない。山のほうから落石がやってきたのかもしれないし、鳥たちがただその場所に何度も何度も種子を蒔いただけなのかもしれない。

それがどのような物事の痕跡なのだったとしても、それからその木がどのような姿かたちをしているのだったとしても、1本の木がただそこに立っているということそれ自体に何かの痕跡、何かの記憶、何らかの時間が封じこめられているということ。

そのことにはそれだけでたくさんの価値があり、それを対岸からただ眺めるばかりの小さな人間の心に茫々たる幻想を浮かびあがらせてやまない。

ことば

「もしもあなたがワシントン山の頂上に立ったことがあるなら、そこで何を見出したか、と私はたずねたい。そこに登ること、ケガをすることは重要なことではない。そこにいる間は私たちは登るということをそれほどしていないのである。ただ昼食をとったり、家でと同じような多くのことをするだけである。本当に山を越えるのは、そういうことがあるとして、帰宅してからなのである。山は何といったか。山は何をしたか。」(H.S.ソルト『ヘンリー・ソローの暮らし』)

そこを歩くことは重要なことではない。それを描くこと、消すこと、描き直すことは重要なことではない。山は何といったか。建築は何といったか。

夜の銀

この前の雨上がりの夜、雑木林の道を歩いていて、ふと気がついたこと。

葉っぱが落ちていく時にたてる音は、森の中の生き物がたてる音と似ている。
暗闇の中の葉っぱは銀色をしていて明るい。
夜の木々はゆったりと手をひろげていて、どこかやさしい。

はじめての道

何度も何度も、この道を歩いたような気がする。

でもこれは、はじめての道。
どこにでもありそうで、ここにしかない、はじめての道。
夏のひどく暑い日で、鳥たちは木陰でやすみ、蝶の姿さえ見当たらなかった。

秋の絵

どこか上野あたりの美術館に展示された古ぼけた油絵のような、秋の湿原。
わずかに顔をのぞかせた秋の太陽はキリっと冴えていて、その澄んだ光をぼんやりと湿った霧がすぐに溶かした。

水平線

水平線のむこうにオオシラビソのようなものがぼーっと立っていて、生暖かい風にのって流れていく霧の奥にちらちらと霞む。なんだか時間の停止した砂浜にいるような感じがして、芥川の「蜃気楼」をふと読み返してみたくなった。

ソローの池

流れのない静かな水面の上に綺麗な正円がいくつも浮かんでいる。

見渡す限り、そこにはひとつとして同じ色は無く、ひとつとして同じ大きさのものはない。円はそれ自体が単独で完結した幾何学形態だから、ここにはたくさんの自律したもののかたちが浮かんでいるようにも見える。

でもよく見ると、それぞれの円には中心から周縁へとこまかな線や切れ込みが入っていて、その向きによってそれぞれに固有の方向性が生まれている。それぞれの円はてんでばらばらの方向をむいて浮かんでいるし、円と円の離れ方、重なり方には、どこにも恣意的なものがなく、意図もなく偶然にその場に葉を開いているだけのようにも思える。

にもかかわらず、ここには何らかのまとまり、それぞれが自律したものたちの恣意的でない関係性がつくるまとまりがあって、思わずそのさまに何かの意味を見いだしてしまいそうにもなるのだけれど、ひとがそこにどんな意味を見ようとも、円は円のまま素知らぬ顔ですいすいとそこに浮かんでいて、そのことに小さな安堵を覚える。

複雑に組織化されていく社会を横目に森の生活をつづけながら、朝から晩まで、ソローがひとり覗きこんでいたという池の水面には、こんな円が浮かんでいたりはしたのだろうか。そんなことを、とりとめもなく考えてみたりもした。

陽の傾き

この時期の光は、一瞬一瞬であまりにも刻々とその様相を変える。傾いていく陽の光は、普段の街の雑踏の中にたくさんの見知らぬ模様を浮かびあがらせて、次の瞬間にはもうその模様を泡のように消し去って流れていく。

目の前にある平凡な場所にはきっと数えきれないほどの無数の一瞬があって、ひとはその一瞬をいつも見逃しながら過ごしているのだということを、その傾きの速度はさりげなくひとに知らせる。

乾いたかたち

モノには、あるいはモノのかたちや幾何学には、それぞれに異なった湿度のようなものがあるのかもしれない。湿ったかたち。乾いたかたち。

湿ったかたちがどこか生命のような有機的なものの存在を思わせるとしたら、乾いたかたちが映し出しているものとはなんだろう。山の奥で乾ききったかたちのまま立ち尽くすもの。海辺の乾いた砂の上に置き去られたもの。

夏の雨の日。霧のむこうで立ち枯れていた1本の木のかたちに憧れにも似た不思議な感情を覚えたことがあった。幻想のごとく漂う霧の中、その木のかたちだけが、なんだかとても醒めていた。

秋の穂

いつもの道すがら。誰もいない昼下がりの公園で、秋の空気をすいこんだ光の色の小さな穂が、ひと知れず眩しく風に揺れていた。