ソローの池

流れのない静かな水面の上に綺麗な正円がいくつも浮かんでいる。

見渡す限り、そこにはひとつとして同じ色は無く、ひとつとして同じ大きさのものはない。円はそれ自体が単独で完結した幾何学形態だから、ここにはたくさんの自律したもののかたちが浮かんでいるようにも見える。

でもよく見ると、それぞれの円には中心から周縁へとこまかな線や切れ込みが入っていて、その向きによってそれぞれに固有の方向性が生まれている。それぞれの円はてんでばらばらの方向をむいて浮かんでいるし、円と円の離れ方、重なり方には、どこにも恣意的なものがなく、意図もなく偶然にその場に葉を開いているだけのようにも思える。

にもかかわらず、ここには何らかのまとまり、それぞれが自律したものたちの恣意的でない関係性がつくるまとまりがあって、思わずそのさまに何かの意味を見いだしてしまいそうにもなるのだけれど、ひとがそこにどんな意味を見ようとも、円は円のまま素知らぬ顔ですいすいとそこに浮かんでいて、そのことに小さな安堵を覚える。

複雑に組織化されていく社会を横目に森の生活をつづけながら、朝から晩まで、ソローがひとり覗きこんでいたという池の水面には、こんな円が浮かんでいたりはしたのだろうか。そんなことを、とりとめもなく考えてみたりもした。