黒い日傘

朝、夏が少しだけ帰ってきたかのような陽気のなかを自転車で進んでいると、商店街の道の先に、大きな花束が揺れているのが目に入った。

少し腰の曲がったひとりのおじいさんが左手にもった花束を肩に担ぎ、むこうのほうへと歩いていく。肩に担がれた花束はおじいさんの背中の隣でゆらゆらと風に揺れて、古ぼけた街並みの中に鮮やかな色を咲かせている。

黒っぽい服を来たおじいさんは、スポーツシューズをはき、キャップをかぶり、黒い日傘をさしていて、腰にはポーチをさげている。たぶんそれなりに長い道のりを歩いていくつもりなのだろう。商店街を抜けて坂道をゆるやかに下っていった先には、坂の途中に大きなお寺があるから、あのお寺の中のお墓に向かって歩いていくところなのだろう。

おじいさんの横をゆっくりと自転車で追い抜く時、ちらりと手元を見ると、黒い日傘の根元をぐいと握った右手が勇ましい。男のひとが持つにはいくぶん可憐にも見えるその日傘は、あるいはもしかしたらおじいさんの持ち物ではなく、これからむかうお墓のひとがかつて持っていたものなのかもしれない。

大きな花束を抱えて、一歩一歩前へと進んでいくおじいさんの姿を背中に感じながら、自転車は坂道へとさしかかる。坂のところのお寺の境内では、大きなケヤキの木に何匹かのセミがしがみついて、最後の声を振り絞り、夏の余韻をギリギリのところで醸し出している。おじいさんが手を合わせた時、まだそこで彼らが鳴いていると良いなと思う。

それから自転車は坂道をくだりきり、橋を渡って蕎麦屋さんの前を通りすぎていく。ふと道ばたに目をやると、蕎麦屋さんの脇の小さな通路のところに、ビニールひもでふわっと束ねられた彼岸花が、花盛りをすぎてもなお太陽のほうを見上げ、じっと静かにその場に佇んでいるのが見えた。耳の奥でセミの声がした。

遠いところ

「てっぺんへ出ると、私は素晴らしく大きくなった。山のように大きくなった。」

今にも押しつぶされてしまいそうなほどに重たい日々の暮らしを、淡々と短い言葉で刻みつづけたある古い女性の詩人の、その言葉の片隅に、ほんの時たまふわっと幻のようにたちあらわれてくる山のイメージは、たぶんそのひとの過ごした低い低い毎日の、その低さのぶんだけ高くて大きなものになるのだろう、

自転車に乗って小屋に来る道すがら、そんなことを茫々と考えた。

そのひとの詩のなかに存在する山は、地べたを這うような凡庸な毎日があってこその山なのであって、そのような日々のないところに、きっとあの山はないのだ。

雨に濡れたずぶずぶの土の道がおわって、木道がはじまるところ。その両脇に大きな木が同じような高さで門のように聳えたっていた。いま久しぶりに写真で見てみると、そのふたつの木の間に見えない境界がぴーんと張られているみたいな感じがする。道よりも土よりも、誰よりもその2本の木が、瑞々しい。