重ねたものの薄さ

むかし買った本をパラパラとめくっていたら、図面というのは手紙のようなものだと、ある尊敬する建築家のひとが言っていた。

おんなじだ。自分の身分も顧みず、失礼にも勝手にそう共感をしてしまう一方で、その手紙らしきものがそれを手渡したひとに「届いた」と思えた瞬間はいったい今までにいくつあっただろう。片手で数えるほどのその瞬間をひとつひとつ丁寧に想いおこすと、なんだか遠くの山を見上げたくなるような気持ちになる。

トレーシングペーパーに描いてきた何百枚か何千枚かの図面たちの、その全部を小屋の箪笥から引き出して机の上に置いてみる。持ってみると意外に重いそれらの紙の束は、けれどその全てを積み重ねてみたとしても、すかすかの空気で膨らんだポテトチップの袋の厚みとそうそう大きな違いはない。

その薄さ、幾重にも積み重ねられたトレーシングペーパーの束のその存在の希薄さに、どういうわけだかホッとした心地がするのはなぜだろう。いつか、小屋の屋根が朽ち果てて大雨が吹きこんできたとしたら、きっとこの紙の束たちは透明な水の中に一瞬でその姿を溶かしていくのだろうな、と思う。