
家に帰って灯りをつけたら、
今朝までつぼみのままだったポピーの花が突然咲いていた。

家に帰って灯りをつけたら、
今朝までつぼみのままだったポピーの花が突然咲いていた。

錆びた小屋。
トタンを打つ雨がつくったストライプ模様。

薪を燃やす火。

松林。
松は単独でヒョロリと立っているよりも、群となって生えている状態のほうが
その鋭い生命力が強調されていて、カッコいい。
同じように、古い民家の天井にうねる松の梁も、それらが暗い土間の頭上で
群をなして重力に耐えているからこそ、力強い生命力を感じさせるのだと思う。
いつか行った唐津の虹ノ松原の松たちも、やはり、強い風の中で尖がっていた。


高松、栗林公園の池の畔。
春が一歩ずつ近づいてきているぞ、という雰囲気。
苔色に光を反射する木肌と水面のゆらぎが綺麗でした。

「手がけたもの」の「森の薪小屋」のページに、写真や文章を追加しました。

デルフィニウムの花。

啓翁桜(けいおうざくら)。
机の上に挿しておいたら、
どんどんと咲きはじめて、もう満開。
キリっとした枝ぶりも冬らしく、
見ているとなんだか身が引き締まる思い。

去年から机の上に挿してあるカーネーション。
この色が控えめで、一番好きな気がする。
根元は少し枯れてきてはいるものの、まだ大丈夫。
それだけ今年の冬が寒いということなのか。
それとも自分のエアコン嫌いのせいなのか。
花は、瑞々しすぎず、生き生きしすぎず、
とはいえ枯れてもいない、このくらいの落ち着いた感じも、
いきものらしくて、ちょうどいい。

A2判のトレーシングペーパーに新年最初の1枚。
ある職人さんの家のラフな実測図。
ここ最近、パソコンや模型での作業が多かったのですが、
やはり手描きの清々しさ、楽しさは何ものにも代え難い。
窓をあけて、冬空の凛とした空気の中で線を引いていると、
余計な雑念が消えていって、単純な手の動きだけが残り、
どこか描いている建物に素直に向き合えているような気分になります。
「まっすぐな線もちゃんと引けないのは、人間が曲がっているからだ。」
最近読んだ本の中のそんな一節をふと思い出して、
製図板の前で、背筋をピンと伸ばしました。

2019年、明けましておめでとうございます。
事務所は今日から仕事はじめです。
今年も携わらせていただいている仕事のひとつひとつに心を込めて、
楽しく、丁寧に、精一杯頑張りたいと思います!
個人的な今年の目標は、道で見かけた植物の名前を言えるようになること、
欲しいものは首から下げられる懐中時計!
事務所としては、新しい試みもいくつか考えています。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

2018年も今日で最後。
この1年は、
北海道から九州までいろいろな場所を訪れて、
今までに無いくらい、
とてもとてもたくさんの人たちと新しく知り合うことができ、
なかなか会えずにいた人たちとも再会できたりもして、
感謝しきれないくらい多くの人たちにお世話になりました。
設計という仕事を通じて、
あるいは、時には酒場での他愛もない会話を通して、
いろいろな人に出会い、いろいろな人の声を聴くなかで、
自分だからこそ出来ることは何か、を深く考えさせられた1年でもありました。
皆様、本当にありがとうございました。
来年も宜しくお願いいたします。

30年前に遠くの山に降った雨が、地中深くに浸透して、
たくさんの細い道を通り、長い時間をかけて、ゆっくりと、
低く、ひっそりとした、静かな、
ここが自分の居場所なのだろうというような場所へと流れていって、
その場所で、地面の上に30年ぶりに顔を出すと、
時にはそこに大きな川が生まれていたりすることもある。
じっと積み重ねること。
黙ってずっと続けること。
の大切さを教わったような気もしました。

三島の黒猫。
よほど水が美味しかったのか、あるいは水に何か仕込まれているのか、
このあと、突如として、人懐っこい奴に変貌。

街から川の土手をのぼっていく時や、
知らない土地の階段をのぼっていく時に、きっと誰もが感じるであろう
あの形容しがたいようなわくわく感は、いったい何の記憶に起因しているのだろう。
いつかそこに居たことのある気がする、見たことのない
懐かしい場所へと還っていくような、おだやかな楽しさ。
土手や階段のむこう側を想像している時、
人の記憶の古層にある何かが、落ち葉のようにカサカサと静かに音を立てて、
思い出すこともないであろう遠い懐かしさのようなものを
ひっそりと感じさせてくれているような、そんな気がする時が確かにあって、
それはとても貴重な瞬間だと思う。

木々の向こうに、ゆるやかな川をのぞんで。

ムーレンベルギア・カピラリスという名前のイネ科の植物。
あわいピンク色がふわふわと風に揺れていて、まるで幻想的な霧のようでした。

牧草地の一角に佇む、腰折れ屋根の小屋。
その場所の風土と建物そのものの用途とが、佇まいの中にあっけらかんと反映された、こんな慎ましい小屋たちは、いつみても魅力的に映ります。

去年行った函館で、なんだか妙に気になった、海岸通りの2軒。
ありふれたものの持つ、言葉にはあらわしたら消えてしまいそうなくらいちっぽけで、しかしどうにも不思議な力。