こぎん刺し

津軽の伝統、こぎん刺しの製作図面(らしい)。

この無機質なグリッドを通して、あの暖かくも複雑な幾何学模様が生まれるのかと思うと、とても面白い。建築の図面にも大いに通じるところがあるような気がします。

岩木山

岩木山。
弘前からのリンゴ畑越しの遠景。

大地に深く深く根を張りながら、同時に神々しいまでに美しい津軽の象徴。
何度見てもその崇高な存在感と佇まいに、ただただ圧倒されます。

大地に根を張る

しばらくかかりきりだった実施設計がひとまず少しひと段落。。

先日テレビで、とある将棋棋士が他の中堅棋士の棋風を評して「大地に根を張ったような将棋」と言っていて、その言葉の響きにふいに心を打たれた瞬間があって、そのことを今日、ふと思い出しました。

写真は昨年訪れたアントニン・レイモンド設計の札幌聖ミカエル教会。
レイモンド独特の軽やかで素朴な木造架構を、深く地面に杭を打ちこまれたかのような表情で寡黙に支え続ける基礎まわり。

ものの成り立ちの最も深いところで、そのもの自体は何も語らずに、でもはっきりとそこに在って、黙々と何かを支えるもの。そのことの表現。
中野重治の小説『梨の花』に出てくる、「底土」という言葉を少し思い出しました。

不意を打つ

ふと見上げたところに、唐突な秋の一瞬。
不意に訪れるものは、どうしていつだって澄んでいるのだろう。

水鏡

昨日の朝の代田橋、玉川上水。

水面に写る木立がとても綺麗で、ふと以前見て感動した鈴木理策さんの写真展『意識の流れ』を思い出しました。もう3年も前か。意識の深くまで沁みてくる、素晴らしく澄んだ展示でした。

水盤

水盤の端部。
自然風による水面の揺らぎとその反射。水の跳ね。水のエッジ。

最近、水と関係のある建物の設計に関わっていることもあってか、水の見せ方や現象が気になって、よく注意して見ることが多いです。

すみか

馬房。藁と窓と壁だけの空間。
暗がりの中にひっそり佇む馬。

食べること、寝ること、遊ぶこと、それから眺めること。
その全てがこの小さな空間のなかを少し動くだけで完結してしまう、シンプルで素朴なすみか。

ぼんぼん

ぼんぼん。としか言いようのない触感的な風景。
特に写真の彩度をいじった訳でもないのですが、なんだかやたらとサイケデリック。

陰影

札幌。光と影。

屋根のこと

建物の間口と、屋根の勾配と、屋根の重みと、
軒の出寸法と、破風の見付と、破風の勾配と。
それら全てが連関しあってはじめてできるもの。立ちこめるもの。
ただその場所で、ずっと昔から空気を吸って吐いてを繰り返し、通りを過ぎ去っていく人たちをじっと見つめてきた、自然体のおおらかな屋根の佇まい。その素朴。その翳り。憧れます。

神田川

届け物をしに、自転車で高田馬場へ。
帰り道、神田川沿いの道を上流へと向かってゆらり、ゆらり。

感謝

外房、勝浦へ。
おそらく今後忘れることのないであろう、素晴しい時間を過ごさせていただきました。この経験と記憶を糧にして、またコツコツと地道に頑張りたいと思います。
ご協力いただいた皆様、心から、ありがとうございました。

水戸

常磐線に乗って、水戸へ。

縁あってこの街に始めて関わってから、もう10年。
訪れるペースは以前より緩くはなってしまったものの、自分にとってはいつも訪れるたびに刺激を受けることのできる大切な街です。

緑色の境界

稲と草。
人の手が加えられるものと、そうではないもの。
曖昧なようで、はっきりと分けられた境界線。

埼玉の空

さいたま新都心。海のない街の、海のイメージ。

床下

耐圧盤の上に整然と機械的に並ぶ配管とダクト。
設備屋さんと空調屋さんの丁寧な仕事。

高松の石

香川県、高松へ。
海沿いの道。ホテルからの眺め。石積みの壁がかっこいい。

高松空港前にはイサム・ノグチの石の作品があって、その重厚でありながら素朴な存在感もまた良いです。

気配と暮らし

新しいご提案のための模型。
窓の外の気配と建物の内側の暮らしをどのように関係づけるとよいのか。
最近何かと考える事柄です。