塀の裏の自由

休日、近所の道を歩いている時に、通りに面した小さな家の1階の窓の前、ベランダのような低い塀に囲まれた場所から、あまり見かけないくらい大量のシャボン玉が空へと舞いあがっていくのが見えた。

塀の高さはだいたい1メートル、窓と塀の間の奥行きは60センチくらいだろうか。どうやら、その塀と窓とに挟まれた余白のようなスペースで誰かがシャボン玉を吹いているらしかった。すぐ隣には小さな庭もあるというのに、わざわざその狭苦しい空間の影に身を潜めて吹いている。

塀の裏側でキャッキャとはしゃぐ声はしないし、物音もしない。塀の高さは結構低いのに、子供の頭は見えてこない。窓のカーテンも閉まっている。一度に吹かれるシャボン玉の量は、なんだか妙に多い。

子供にしてはおとなしくて、やたら肺活量のある子だなあ、きっと大人びた体格の静かな子供なんだろうなあ。なんて妙に感心しながら近づいていくと、また音もなく、膨大な量のシャボン玉が一気に塀の上に姿を現して、ギョッとした。

家の前を通りすぎるとき、そっと塀のむこうに耳を澄ましてみたけれど、やっぱり声はしない。音もしない。頭も見えない。

いや、待てよ。
あの塀の後ろに隠れているのは、子供とは限らないのではないか。
そんな考えが、その時ふと頭をかすめた。

いい歳の大人が、もしかするとコワモテをした髭面のおじさんなんかが、この状況下、休日の時間をもて余し、通行人に隠れてシャボン玉を吹いているのではあるまいか。

だとしたら、あの謎の肺活量も合点がいく。そうか、きっと屈強な大男に違いない。それにカーテンも閉まってるということは家族にも内緒なんだな。だからあの狭いスペースに身をかがめて隠れているのか。家族には窓の外でダンディに煙草をふかしてくるふりをしながら、実はひとり童心にかえって大量のシャボン玉を必死にふかしているんだ。

こちらの空想がぷくぷくとシャボン玉のごとく膨らんでいくのに合わせるかのように、塀のむこうからは大量のシャボン玉が次々に空中にむけて発射されていく。相変わらず、声はせず人影は見えず、ひっそりとした静けさが小さな家のまわりをつつんでいる。

よく晴れた空の下、目の前にある低い塀の裏側のわずか60センチの奥行の中で、恥ずかしさに小さく身をかがめた髭面の大男が、こちらに気づかれないように静かに息を潜め、自慢の肺活量を駆使して必死の形相で楽しそうにシャボン玉を吹いている姿がぼんやりと脳裏に浮かんできて、なんだか妙に可笑しかった。