まわる

小さなネジをラチェットの先端に載せて、目の前の板にぐいと押しつける。それからそれを右手を使ってまわしていく。ギーギーという音。手のひらに伝わる板の固さを感じながら繰り返し、普通に、黙々と、ラチェットの頭に左の指を添えながら右手をまわす。

それぞれの工具の形と機能を一番最初につくりあげたひとが誰なのかは全く分からないけれど、ラチェットを最初につくったひとは本当に偉大だなと思う。ラチェットのない人生とラチェットのある人生があるとしたら、自分は迷わず後者の方を選びたいなあ、なんていうくだらないことをこの前ふと考えた。

自転車での帰り道。ペダルを踏みこんで、おだやかな坂道をのぼる。自分の足元で、暗闇のなかで車輪がまわる。くるくると同じ軌道を描きながら地面のうえでまわるもの。淡々と。くりかえし。日々のように。

朝。川沿いの道では白やピンクの鮮やかな色があちこちで生まれて、メジロとシジュウカラがヒヨドリの襲撃を避けながら、枝から枝へと賑やかに飛びまわっている。部屋から見える公園の木では、相変わらず1本の枝だけが他よりも伸びすぎたまま空に浮かんでいて、その枝にオナガの群れがやってくる。ベランダのユキヤナギが今年もたくさんの白い輪をふわふわと浮かべて、あたたかい風のなかに咲いた。

「まわす」とか「まわる」ということのなかには、ひとの心に静けさをもたらす何かが潜んでいるのかもしれない。反復すること。まわっていくもの。真夜中、コーヒーを淹れに台所に立つ。湯を沸かす。それから豆を挽く。ゴリゴリという音。豆の固さ。ミルをまわす右手が寒さでかじかむことは少なくなってきた。