おなじひと

だいぶ前、冬枯れのやまを沢に沿っててくてくと歩き、前方に小さな分岐が見えた。

右に行くと山頂への急な登り坂、そのまままっすぐ沢をいくと稜線の鞍部にでるなだらかな道。鞍部までの途中には大きなトチの木の生えているところがあるらしく、水とトチの組み合わせにも興味を惹かれたけれど、その日は右に登っていくことに決めていた。前の年にもまったく同じ季節に同じ道をきたのだったが、今年もやっぱり右かなと思って、なんとなく右のほうを見上げながら歩をすすめた。

分岐のところまでやってくると、それまで誰もいなかった山道にはじめて見る背中がひとつ、下を向いて立っている。うしろから小さく挨拶をして背中の横をすりぬけて右のほうへと登りはじめたとき、ふと横に目をやると、そのひとの手のなかに5万分の1の地図がひらかれているのが見えた。

あっ。

このひとは去年もここにいたひとかもしれない。去年もこの分岐のところで、こんなふうに5万分の1の地図をひらいているひとを、見たのだったかもしれない。

思い違いだとは分かっていても、去年そのひとをその場所で見たのかもしれないということを否定することもできないまま、それが本当にあったことなのかどうかはひとまず山の道へと放り出して、おぼろげな記憶を紐解きながら明るい枝の下をくぐってぼんやりと急な坂道を登った。

坂のうえからふと左の沢のほうを見下ろしてみると、ほっそりと白く光る枝たちの隙間から、地図のひとがその地図をひらいたまま、ゆっくりと沢に沿って歩いていくのが見えた。やっぱりきっとあのひとは、去年もあの分岐のところで地図をひらいていたひとだったのだろう。そして去年もまっすぐにあの沢に沿って鞍部へと歩いていったひとなのだろう。なぜだかそう思った。