チンゲンサイ

今朝のベランダ。

チンゲンサイの細い茎がひょろひょろと空中をのびて、窓ガラスに反射した光のなかにゆらゆらと揺れていた。茎のいろは先端にむかうにつれてみずみずしいグリーンを帯び、根元にむかうにつれてイエローの色味をましていて、それぞれの茎がすごした時間の痕跡を明るく浮かびあがらせているように見える。それらの色のグラデーションのてっぺんにはちっぽけな黄色い花が浮かんでいて、去っていった時間のうえにあざやかな「いま」を咲かせている。

遺跡とか巨木のような大きなものに刻まれた長い時間だけが時間なのではなく、この茎のような小さなものに刻まれた短い時間もまた、貴重な時間であることに変わりはない。細いものや小さなものは、その存在の弱さのぶんだけたくさんの余白を自分のまわりに生みだすことができるのかもしれず、その余白にこっそりと時間が入りこんで何かを饒舌に語っているところを、見逃してはいけないなと思う。