この1ヵ月ほどの間、毎日のように自転車で通るようになった新しい道の途中に、一軒の小さなクリーニング屋さんがある。そこは鉄道の駅からは離れ、下り坂と下り坂とが出会う住宅街の谷のようなところで、まわりには数軒の古い小さなお店が並ぶようにたっていて、どことなく慎ましい雰囲気が醸し出されている。
行きに通るときは、だいたいの場合そこにクリーニング屋さんがあることにも気づかずに通り過ぎてしまい、そのお店がそこにあることを認識するのは帰り道、暮れていく空を眺めながら自転車でのんびりとくだっていく坂道の左手にそのクリーニング屋さんが見えてきた時だ。
ゆるやかにブレーキをかけた自転車でその前を通るとき、お店に入ったことも、利用させていただいたこともないクリーニング屋さんの引き戸が開け放たれ、その引き戸のすぐうしろ、お店に入ってすぐのところに、小さな遺影が机のうえにちょこんと置かれているのがチラリと目に入る。
最初はほんのひとときそこに置いてあるだけなのかなと思ったその遺影は、はじめてみた時からまもなく1ヵ月が経とうとする今にいたっても、やはり同じ場所に、丁寧に立てかけられて置かれている。
一度見かけた旦那さんと思われるひとの背中は、やっぱりなんとなく寂しげに見えたようにも思えたのだけれど、でもその遺影がどこか裏手の住居のなかにではなく、そのお店の入ってすぐのその場所に置かれているということに、そのひとのなにかが込められているのかもしれないなと思う。
きっとあのひとは、あのやさしそうな顔を浮かべて、いつもあの場所に立っていたのだろう。ふたりでそのお店を、自分たちだけのお店をはじめて持った日の、溢れるような、張りつめたような気持ちがどことなく偲ばれてくるような感じがして、自転車のうえでほんのわずかの間、目を瞑る。