お詣り

小さな神社の社務所2階にお借りしていた机は、今日まで。

新しい事務所への引っ越しは金田さんの手をお借りして完了し、最後の掃除へ。この3年半ほどの間に訪ねてきてくれた友人たちが飲みきれずに置いていった缶ビールの山をザックにしまって、夏みたいに晴れた境内にてお詣り。

遊びに来てくれた皆さん、ありがとうございました。
新しい事務所のことは落ち着いたらお便りにてお知らせできればと思っています。

写真は机のところからいつも見えていた物置小屋。新しい事務所は、なんか、なんとなく、あんな感じのところです。これからも引き続き、宜しくお願いします。

白いもの

土間のところの段差に腰かけて靴を履こうとするとき、足元の暗がりのところを小さな蜘蛛がてくてくと横切っていくのが見える。いつもではないけれど、この土間の主のような彼は、たいていのんびりとその暗がりを歩いていて、立ち止まったり考えこんだり、時には早足になったりしながら、どこか見えないところに姿を消していく。土間の隅っこにある彼の家はたいてい空っぽのがらんどうで、夕方になると低い軒の先端からこぼれてくるわずかな太陽を透かすようにして白っぽくひかり、どこかから吹いてくる低い風にさらさらと揺すられながら、まるでどこか深い山の中の1本の木の先端から垂れ下がる細い枝のように、雫のようなものをぽとりぽとりと暗がりに落としつつ、静かに、ただその場所に在るように存在している。

すれ違うとき

ガランガラーン。ガランガラーン。
誰もいないと思っていた朝の山道で、うしろからではなく前のほうから低い熊鈴の音が聞こえてくる。

山頂までは長い長い一本道のはずだから、あの音は山頂からおりてくるひとの音だろう。やがて薄暗い杉木立の巻き道のむこうから、大きな荷物を背負ったひとがひとり、ルンルンと楽しそうな調子を漂わせながら下ってくるのが視界に入った。

リーンリーン。チリーン。
前からくる音を聞くために立ち止まっていたところから歩き出したとき、今度は自分のザックにくくりつけてあった熊鈴が高い音を鳴らした。

むこうから下りてきたひとは、ちょっと歩を緩めて、意外そうな表情で遠くからこっちを見ている。こんな地味な尾根をこの時間にあの村のほうから登ってくるやつがいるなんて。たぶんきっと、そんなふうに思っているに違いない。

ガランガラーン。リーンリーン。ガラリーン。

ふたつの熊鈴の音が近づいて、それから巻き道の途中ですれ違うとき、チラリと背中の荷物に目をやった。日帰りの山には到底持っていくことのないだろう大きな黄色のザックのうえに、銀色のマットがくくりつけてある。

山小屋もテント場もないこの山で、あの銀色のマットを持ったひとが早朝に上のほうから下りてくるとしたら、そうか、あの避難小屋かな。だとしたら、このひとは麓の村のひとだろうか。きのう山頂の避難小屋でひとり夜の山と戯れたあと、早朝に小屋からおりてきて、このあと何食わぬ顔でいつもの仕事場に行くのかもしれない。

すれ違うとき、消え入りそうな声で「こんちは」と低く言ったそのひとは、気まずそうな照れくさそうな、ちょっと不思議な表情をした。そのひとの心のなかに浮かんだかもしれない小さな不安や遠慮のような何とも形容のしがたい感情が、自分にもはっきりと分かるような気がするから、だからこちらも小さな声で「こんにちは」と言って下をむいて静かにすれ違った。

きのうの夜の真っ暗闇の時間から、この尾根の道のようにすーっとなだらかに連なってきたのかもしれないそのひとの中のルンルンとした穏やかな調子が、どうか自分の存在によって遮断されませんように。

リーンリーンリーンリーン。自分の鈴の甲高い音を聞きながら、さっきのひとの踏み跡を逆方向に辿っていく。このまま尾根を登って稜線にでれば、たぶん今頃はカタクリの花が咲いている頃だろう。
すれ違ってしばらくしてから立ち止まって、遠ざかっていく黄色いザックのほうを振り返ってみる。ガランガラーン。ガランガラーン。しーんとした山の斜面のむこうから、熊鈴の音が調子よく響いていた。

雨上がりの道

この木はあの小屋の裏山の木に似ているな。この色はあの森の色にそっくりだな。この土の感触はあの橋のところのくだり坂みたいだな。立ちどまる。森の中の音がぴたりとやむ。忘れることのできない遠くの森の気配がする。ひとけのない雨上がりの道の先のほうを茫々とながめる。それからまた足元をみて歩く。靴の中の爪先になんとなく意識を傾ける。木陰からこっちを見ている鹿がいた。

木の実

いつだったか、どこかの山の落ち葉の中から木の実を拾って、ちょっと前まで頭上の枝とつながっていたのであろう尻尾みたいな部分を右手でつまんで空にかざしたとき、こんな形をみたような気がする。そんな山。とんがり帽子のような簡素な山。ひとっこひとりいないだろうと思ったら、静かなひとがひとりいた。

梅の木

うなりをあげているかのようなのに、明るい。
低い声が響いてきそうな気もするけれど、にこにこと黙っている。

いつもの池のあたりで、草むらの中から見上げた梅の木の立ち姿。

お知らせ

東京の北の隅にある古い小屋に仕事場を移しました。
また落ち着いたらご報告します。

ひだまり

むらさき色の花の下で、小さなひだまりが午睡をしているみたいにじっとしていた。

カラス

今朝、古い本のなかで一羽のカラスが「ああ」と鳴いた。

「かあ」ではなくて「ああ」と捉えてみるだけで、カラスの存在はまったく違ったものに思えてくる。「ああ」と鳴くカラスの声からは、なんとなく乾いたブルースハープの音にも似たものが聞こえてくるような感じもする。

この1年ちょっとの間にそれぞれのひとの胸のうちにぼんやりと浮かんだ「ああ」というため息を積み重ねたら、どのくらいの高さになるんだろう。あるいはまた、それぞれのひとの前からかき消されていった「ああどうも」「ああ」といった類の会話を数えたら、いったいいくつになるんだろう。

いつもの池のところには今日はあんまりカラスの影はなく、黄色いショウブが水面を見つめて静かに咲いている。事務所にいって机に向かうと、窓の外がどうにも騒がしい。「はああ!はああ!」地べたから湧きあがるような野太い声を響かせて、どこか見えないところでしきりに鳴きつづけているカラスがいた。

古い日記

雨の日に、古い山の日記を読んだ。会ったこともないひとの書いた、行ったこともない遠くの山の記録。自分が生まれるよりはるかにむかしの深い森の中のこと。なにもない。なにも起こらない。淡々と綴られていたその言葉は、だけどどうにもなつかしかった。

見上げること

道をふさぐ蜘蛛の巣の完成度を見れば、どのくらい前にその道をとおったひとがいたのかがなんとなく分かるものだけれど、その日の朝の山道には、思いのほか整った幾何学を携えた透明な糸の群れがいくつも風にゆれていた。

ひとつめの小さな滝を横目に、水の流れを遡るようにして細い道を登り、ドウドウと音をたてて流れ落ちるふたつめの大きな滝の足元の石をつたって、滝つぼのむこうにつづく土の道へと渡る。蜘蛛の巣の下をくぐり、時にはその主にお詫びを言いながらゴロゴロとした急な斜面を登っていくと、荒れたガレ場の先に3つめの滝があった。

20m近い落差があるにもかかわらず、その滝の水はおどろくほど静かに、岩を撫でるようにしてなめらかにすべり落ちている。特に滝のてっぺんのあたりの岩をすべるときの水は、まるで絹のようななめらかさを持っていて、これまで見てきたどの滝ともちがう淡々とした静寂があざやかな新緑の隙間から零れおちてくるのが見える。滝つぼからそれを見上げる自分までもが無音になっていくような感じがする。

むかしのひとが、この滝の足元から見上げていたものは、たとえばこんな静けさだったんだろうか。滝つぼの脇のちっぽけな祠の暗がりには、小さなお酒の瓶がそっと置いてあった。

ベンチを据えたひと

新緑の道がゆるやかなカーブを描くところに、石垣につつまれた静かな暗がりがあって、その場所に小さな木のベンチがひとつだけ、ちょこんと置いてある。

ただそれだけのことなのに、その横をてくてくと通り過ぎていくだけの自分の中には、いつかの日におだやかな道の円弧のふくらみを見つめるようにしてベンチに腰掛けていたかもしれない知らない誰かの姿が、なぜだかぼんやり浮かんでくる。

そんなふうにして、通りすがりの人間に、見たことのないふつうの誰かの姿を想像させることのできる場所があることを、自分はうれしく思う。できることならば、あの場所にベンチを据えたひと自身も、ベンチに座って、あざやかに色づいた山桜の花を静かに眺めることができていたとしたら、うれしい。

きのう、事務所からのいつもの帰り道。このところずっとしーんと鎮まりかえっていた小さな小さなお店屋さんの古い引戸の隙間から、女将さんの屈託のない笑い声がひさしぶりに路上に漏れているのを横目にながめながら、なんとなくそんなことを思った。

チンゲンサイ

今朝のベランダ。

チンゲンサイの細い茎がひょろひょろと空中をのびて、窓ガラスに反射した光のなかにゆらゆらと揺れていた。茎のいろは先端にむかうにつれてみずみずしいグリーンを帯び、根元にむかうにつれてイエローの色味をましていて、それぞれの茎がすごした時間の痕跡を明るく浮かびあがらせているように見える。それらの色のグラデーションのてっぺんにはちっぽけな黄色い花が浮かんでいて、去っていった時間のうえにあざやかな「いま」を咲かせている。

遺跡とか巨木のような大きなものに刻まれた長い時間だけが時間なのではなく、この茎のような小さなものに刻まれた短い時間もまた、貴重な時間であることに変わりはない。細いものや小さなものは、その存在の弱さのぶんだけたくさんの余白を自分のまわりに生みだすことができるのかもしれず、その余白にこっそりと時間が入りこんで何かを饒舌に語っているところを、見逃してはいけないなと思う。

今朝の道

緑道の入口についたとき、奥のほうの水がパシャパシャと波打っているのが見えた。
ザックの中身をガサゴソとやってカメラを探してみたものの、昼飯の包みやら水筒やらが手の先に押し寄せては帰っていくばかりで、肝心のカメラはちっともみつからない。

仕方なく携帯をとりだして緑道を歩きはじめた頃には、もう玉川上水の浅い水を波打たせた主たちはどこかに去ってしまっていて、水辺はさっぱりと誰もいない。道のむこうに今日もまたガードマンさんが見える。

わずか数十メートルの緑道のつきあたりに、2週間くらい前からずーっと気になっていたひとつの綿毛があって、すこしの間それを眺めてみる。ぴーんと伸びた茎とパヤパヤのまん丸い綿毛。ほっそりとした幹のかげ。なめらかになびいている手前の草。

ガタンガタン。ゴトンゴトン。背中の後ろにある橋桁のホームに各駅停車が到着してドアが開く。その音に呼応するようにして、目の前の綿毛がぽわーんぽわーんとゆれる。軽いということの良さがふわっと一瞬、見えたような見えなかったような。なんだかそんな感じもした。

残響

春の数センチ手前。しずかな冬の最期の一瞬の、白の爆発。
今頃はもう、芽吹きはじめた新緑のやわらかい影にくるまれて、
すやすや眠っていたりするのかもしれない。

空間

暗い森をぬけた先に見えてきた雑木林には、なんだかえも言われぬ明るさがあって、サーっと自分が軽くなっていく。羽根があったらそのまま飛び立ててしまいそうなほどに。

暗いところがあって、明るいところがあって、そのなかをひとりの人間がトボトボと歩いていく。その繰り返しのなかで、言葉や頭ではとうてい掴まえることのできない、まっさらな空間みたいなものに出会えるような気がする。おはようございます。きょうもちょっとだけお邪魔します。

ピーツッツピーツ。シジュウカラがしきりになにかを喋りながら、目の前を横切って明るい若葉の余白にとびこんでいく。道がないから、きっとこっちには来られないんだよねー。そんなふうに言われているような感じがして、すこし可笑しい。

朝の木立

古い家の脇をとおって、細いみちを集落のいちばん奥までのぼっていく。
山の尾根へとつながっていくその道からひとつの土の道が枝分かれしていて、
そのむこうになんだか明るいものが見える。

朝のひかり。青い空気。
ちっぽけな鳥居をまもるようにして、すーっとまっすぐに空へとのびていく杉の木立。
一瞬こころがまっさらになって、思わず小さく手のひらをあわせた。

風のなか

きのうの朝。古い山の本をすこし読んで、それから事務所へ行って、机のまえ。
窓のほうからゆらゆらと生暖かい風が入ってきて、天板のうえをぼんやりと撫でていた。
さっきまで読んでいた本のせいだろうか。
けだるく流れていく風のなかに、なんだかちょっとだけ初夏の山を思った。

カタクリ

「毎年ちょっとずつ大きな葉っぱをつけて、
早くて7年、多くは10年くらい経ってから、ようやく花をつける。」

誰にも気づかれないような枯れ葉の中に、今年もカタクリがぽつねんと上を向いて咲いていた。
きみはほんとうにすごいよなあ。

どんなに自分の姿勢を低くしてみても目の前にある小さな花を見上げることはできなくて、
そのことがカタクリの存在の気高さを証明しているように思えた。

大きな木

小さな山のうえの丸太に腰かけて、のんびりと時間をかけて珈琲を淹れる。

細く地味な植林のみちがつづいていく山のなかにあって、そのあたりだけは平らかにひらけていて、古い神社のやしろが祀られている。隅の方にはちょっとだけ視界がひらけたところがあって、ひとりのひとが草のうえに寝転んで昼寝をしていた。

珈琲を飲み終わって、お昼過ぎの太陽をあびて、それからザックを背負って、麓にある参道のほうへと、あんまりひとに歩かれていなさそうな細く暗い巻き道をくだった。巻き道の途中で、うしろのほうからさっきの昼寝のひとがさーっとおりてくる気配がして、細い道の脇の急な斜面に寄りかかって道をゆずった。

通り過ぎるとき「失敬」と小さく呟いた昼寝のひとは、猿のようなスピードで音もなく荒れた巻き道をくだっていった。そのうしろ姿はもうしばらく行くことの出来ていない遠い町の山のひとたちの背中に、どこか似ているような感じがする。

小さな沢の水をまたいで鳥居の見えるところまでおりていくと、とたんに視界がひらけて、左手に見たこともない大きさのカツラの木が立っているのが見えた。あっ、と思わず声がでる。樹齢500年。気の遠くなるような時間をこの場所ですごしたその木の根元には、ゴウゴウとたくさんの水が流れていて、その音の大きさがカツラの木の崇高さを途方もなく大きなものへと引きたてている。

山のなかで古い木や大きな木を見ると、何人かの大工さんの姿が浮かぶのはなぜだろう。きっとあの大工さんはこの木を見たら、こんなことを言うだろうなあ。あの親方はこの木を見たら、あんなふうな反応をするかもなあ。あの棟梁だったらたぶん、きっとこんなふうに。

その日もなんだかそんなことをぼーっと考えながら、もう遠くに見えなくなった昼寝のひとの背中を追いかけるようにして、てくてくと道をくだった。山の道はいつしか林の中の舗装路にかわり、誰もいない参道にはひっそりと桜の花が咲いていた。