路地の音

下町の路地裏にある小さなアパートに住んでいた頃。

部屋の前に迷宮のように広がる細い路地は、
塀や壁や扉や襖で仕切られた小さな場面の連続で、
さまざまな生活の音に溢れた舞台だった。

誰かが帰ってくる気配がして、
錆びた鉄の階段がコツコツと音を鳴らす。

冷蔵庫の扉がバタンと閉まる。
フライパンの音。猫の鳴き声。ビニール袋がかすれる音。
それから食器の音がして、笑い声。静寂。

窓がガラリと開いて、洗濯機のスイッチが入る。
椅子をひく音。
TVの中でしゃべるニュースキャスター。
それから笑い声。野良猫が誰かを呼ぶ。

路地に住んでいる時、自分の耳は本当にたくさんの町を、
たくさんの場面を想像していた。

いつかその路地の断面をスパッと切って、
自分の身の回りで起こっていることの断面図を描いてみたいなあ、
などと考えているうちに時は経ち、
いつしかその路地は記憶の底のほうへ沈んでしまった。