線をひくこと

抑制されたものに、いつも静かな共感と憧れを覚えながら過ごしてきた。
何かがそっと抑えこまれたもの。何かがさっと消し去られたもの。そのようなひと。そのような言葉。そのような表現。

いつだったか、建築の図面というもの、それも手描きの図面というものにはじめて出会ったとき、これなら、この中でなら、自分にも少しばかりはなにかを言えるかもしれないなと思った。

図面は、たとえそこにどんなたくさんの感情をこめて描いたとしても、出来あがったものは単なる1枚の紙の上の無機質な鉛色の線と数字の羅列でしかないところが良い。

その図面の中に、それを手にする誰かに伝えてみたいことをどれほど叩きこんだとしても、その人の前では「でも、これはただの図面なので…」とそ知らぬ顔でうそぶけそうなところも良い。

それから、それを描いた人間の存在がくりかえされる線や数字の背後にサーッと消え失せて、人称のない淡々とした手の動きの痕跡だけがぼんやりとそこに漂うような感じも良い。

たとえばもし、その家を美しいものにしたいと強く望んだとしても、図面の中に「この家を美しくして下さい!」と書くことはできないし、その図面を美しい色で彩ることもできない。それを淡白な鉛色の線と数字と記号だけであらわすのが、自分の仕事なのだと思う。

0.5ミリのシャーペンでひく線は、その時の自分の状態をあまりにも繊細に写しとってしまうものだから、感情が揺らいだり、前のめりになったりしていると、とたんに線が揺れ、濃度が変わり、太さが曖昧になって、図面の中に不必要な濃淡が生まれてしまう。
同じ濃さの、同じ太さの無機質な線を紙の上にきれいにひくのは、ビックリするほど難しい…。

だから図面を描くとき自分にできることといえば、製図板にむかって肩の力を抜き、息をとめ、感情を殺し、声を潜めて、まっすぐな鉛色の線をただ淡々と引いていくことくらいしかない。

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【掲載のおしらせ】

8/19発売の住宅建築』10月号に「勝浦の家」「一宮の家」「市原の家」を計10ページほど掲載していただいています。

家をささえる小さなものたちと、その図面についての特集です。写真は古くからの友人・金田幸三さん。施工は木組さん。家をつくってくれる大工さんに手渡すために、1/6の縮尺でその家の全貌を追いかけた手描き図面たちをメインに、机の上で自分の手を動かす中で実感したことを書いたささやかな文章なども載せていただきました。

もしどこかで見かけるようなことがあれば、通りすがりにチラリと一瞥していただけたらうれしいです。