白っぽい月

この前のよく晴れていた日。

早朝の川沿い道では、白梅の花をめぐってヒヨドリとメジロが喧嘩を繰りひろげ、ムクドリがキュルキュルと鳴いていて、何羽かのツグミが我関せずと早足で地面を歩いていた。「トコトコ歩いてスタッと止まる。」鳥の本に書いてあったそんな可笑しみのある擬音語を、ツグミたちは忠実になぞっていく。

夕暮れ時、懐かしい駅にいく用事があって、ついでにむかし何度も通った大好きな中華屋さんの前まで本当に久しぶりに行ってみて、暖簾の向こうの様子を確かめてから、歩き慣れた坂道をくだった。

支度中の中華屋さんにはあの鉄鍋のコンコンという音は響いていなかったけれど、今でもその音、親父さんが静かな店内で鉄鍋をふるうその生き生きとした音にカウンターに座りながらひとり感動した遅い午後の時間のことを、自分は確かに思い起こすことができる。

中華屋さんのまわりには、あの頃から今の日まで、自分の知らないところでたくさんの時間が流れたのだろうと思う。にもかかわらず、変わらぬ暖簾と変わらぬカウンターがこんな年のこんな日にも、今でも変わらずにそこにはあって、それを見た自分はあの鉄鍋の音を聞いていた時のことを思い出すことができる。

自分の知っているところで流れた時間に対してよりも、自分の知らないところで流れた時間に対して、より多くの敬意を払うこと。ニコライ堂の古びたドーム屋根のうえに下半分を空に浸食された白っぽい月がとろんと漂っていて、坂道の脇にはピンク色の鮮やかな花が咲いていた。