小屋のこと

それまであたりまえのように手にしていた何かを捨てて、あたりまえでない何かをはじめることは、簡単そうに見えて、なかなか結構むずかしい。あたりまえのように手にしていた何かを捨てるには動機がいるし、あたりまえでない何かをはじめるには、たとえそれがどんなに小さなことだったとしても、ある種の憧憬のようなものの力を借りる必要だって時にはあるのかもしれない。

おとといの夕方、山のむこうの遠くの町のあるひとから電話が鳴った。

そのひとが大工さんの力を借りながら自分の手でたてた山麓の小屋を最後に訪ねたのは、小屋のまわりの白樺林の斜面が一面の真っ白い雪におおわれはじめていた頃だから、ちょうど2年前の今頃で、そのときはまさかこんなにも長い間、その小屋やその町に行くことが出来なくなるなんて思ってもいなかった。

そのひとと会話をするのは相当ひさしぶりのことだったから、本当はこの2年の間のあれやこれやのよもやま話などを電話口で報告するべきだったのだろうけれど、そのひとにまず自分が伝えるべきことはただひとつ、この小屋のことなんじゃないかなと思って、この小屋でのあれこれを簡潔にお話しすることにした。

それまで使っていた事務所の場所を退去して、半年ほど前からこの小屋を使うようになったこと。ここが古い農小屋で、ここには水道も電気もガスもひかれていないこと。だから水と食料と蓄電池をいれたザックを担いで自宅からこの小屋に通っていること。片道1時間、寄り道をしながらひとりのんびりと自転車を漕いでくる道中が山の道のようで楽しいこと。冷房も暖房もないから、今は冬山に行く時の服装で仕事をしていること。蓄電池に繋いだ小さな裸電球の灯りの下で、いまこの電話にでていること。

だいたいそんなようなことを、電話のむこうのひとに手短にお伝えした。動機は特に言わなかったし、たぶん言う必要もないだろうと思った。ただ、そうしたことのすべてが、水も電気もガスもないどこか遠くの山の中を、のほほーんとひとりで歩いていくような気分とむすびついているような感じがすることぐらいは、きっと、なんとなく分かってもらえるんじゃないかなあ。

「おまえ。」

案の定、電話口のむこうの声がにやりと弾んで、そう言った。

「おまえ、それは、おれと同じじゃないか。」