対象の遠さ

たとえばある山を歩いたとして、その山のことを自分の中で理解したり、誰かに話したり、伝えたりすることが出来るのは、その山を歩いた日からずいぶん時が経った後のことだったりする。

ある本を読んだとして、その本の意味が自分の中で噛み砕かれて溶け出すのには、少なからずある程度の年月を要するし、ある図面を描いたとして、そこで描きたかったことの内容をふと実感することが出来るのは、それを描いた日から遠く離れた時であることが多い。

ある対象を、自分がその対象の目の前にいる時に、きちんと理解するのは難しい。
その対象の意味は、そこから遠ざかった時にはじめてぼんやりと浮かびあがってくる。

だから写真であれ描画であれ文章であれ、まずは自分の目の前にあるその対象を淡々と記録することに価値があるのだと思う。その記録を遠く離れた日に発見した時、そこではじめて生まれてくるものがあるのだと思う。

そのために、まずしなければならないことは、たぶん、動くこと、行動すること。対象の前に立つこと。それを見ること。静かに見上げること。記録すること。そして、そうしたことを続けること。
今日、そんなことを思った。