一輪の花

毎日歩いている事務所までのいつもの道沿いに、古びた小さなビルがある。
道に面した1階には狭いながらもロビーのような空間が設えられていて、そこに古いパイプ椅子と机がひとつずつちょこんと置かれている。そして、その机のうえにはいつも一輪の花が挿してある。

特段深く注意を払ってその花を眺めている訳ではないから、はっきりとは分からないのだけれど、いつもいつもガラス越しに見えるその花の姿はほとんど変わらない。
道をてくてくと歩いている時、薄暗いロビーの机の上にその花が見えてくると、なんだか気持ちが凛として澄んでくる。でもあまりにもその花の姿が変わらないものだから、ある時期からは「そうか、あれは造花なのか。よく出来た造花もあるもんだなあ。」などと思いながら、その前を通りすぎていた。

その花が、きのう、変わった。

いつもの向きでちょこんと置かれている古い机の上には、いつもとは違う色の、違うかたちの一輪の花が挿してあった。それは本当に些細な出来事に過ぎないのだけれど、なんだか毎日その前を通りすぎているこちらの心持ちまで、新しく新鮮なものに変わったような感じがした。

新しい花もまた、造花なのかもしれない。あるいはもしかしたら、今まで見ていた花は、そのビルの大家さんか毎回毎回新しいものに差し替えてくれていた生花だったのかもしれない。
でもそれはたぶんどちらでもよくて、ただその一輪の花のようなものがそこに「在る」ということに、確かな価値があるのだろうなと思う。ただそこに「在る」ということ自体が価値であるようなものが、きっといろんな道ばたに忘れ去られて転がっている。

写真は、雑木林の階段で秋の光を一身に浴びていた小さな花。
こんな場面を見ていると時たま、光が照らすからそこに一輪の花が生まれるのか、一輪の花が在るからそこを光が照らすのか、ふと分からなくなるような瞬間がある。
たったひとつの花はいつも、祈りのような澄んだ何かを思わせる。