ローズマリー

表現という言葉はあんまり好きな言葉ではないけれど、今でもまだ何かしらかの表現というものが残っているとするならば、それは「なにを見せたか」ではなく「なにを見せなかったか」ではないかと思う。

なにを言ったかではなくて、なにを言わなかったか。
そのひとはどんな言葉をのみこんで、黙ったか。

地味なもの、静かなもの、押し黙ったもの。
そういうものの背後に在るものこそが、きっと何よりも大切にしなければならないものなのだろう。

写真は、ベランダで育ってくれたローズマリー。
葉のかたちにはどことなく雨の尾根に立つ針葉樹を思わせる鋭さがあって、平日の朝だというのになんだか山に行きたくなる。朝日のなかに緑の色が深く沈んで、机のうえに鈍い光沢がぼーっと浮かんだ。