ガジュマル

家のガジュマルは毎年同じようなペースでいくつかの葉っぱを落とし、いくつかの葉っぱを生む。そんなふうにしてもうかれこれ15年くらい、寒くて暑い部屋の中でガジュマルは澄ました顔で暮らしてきた。

そろそろきみも中年だねえ、なんて言ってみたくもなるけれど、ガジュマルの長い時間の中では15年なんて米粒にも満たない大きさなのかもしれない。

落ちていく葉っぱはすこし乾いて黄色くなって下を向き、生まれていく葉っぱにあたらしい道を譲る。生まれたての葉っぱを手で触れると、新しいもののみずみずしさが指先からいつもさりげなく伝わってくる。

このみずみずしさに道を譲るために、古い葉っぱは自分の葉を自分の意思で乾かしていくのだろうか。だとしたら尊いし、そうでなくても葉の1枚1枚は何も知らないニンゲンにとってはすべて等しく大切だ。

そろそろいい加減、もうひとつ大きな鉢にうつしてあげねばとも思うけれど、いまの気分はどんなだろう。しばらくじーっと眺めてご機嫌を伺ってみたけれど、澄ました顔のガジュマルはうんともすんとも言いやしない。

仕方なく、今朝も乾いた葉っぱをせっせと手にとって、それから鉢に水やりをした。