むこうの山

むこうの山にむかって「ヤッホー」と大声を張り上げてみるのは、一度は誰もがやってみる定番なのかもしれないが、自分にはなんだかそれができない。第一、恥ずかしい。。「ヤッホー」をするひとを見ると、羨望めいた眼差しでただぼんやりと眺めてしまう。

そのかわり、遠く離れたむこうの山を見た時にいつもなんとなく考えるのは、その山のなかを歩いているのであろう見知らぬ誰かの心が、しーんとした豊かな静寂と平穏につつまれていますように、というなんだか訳の分からない小さな願いのようなものだったりもする。

それは本当に自分勝手な空想にすぎないのだけど、できればむこうの山を歩くそのひとが森や山と向きあっている静かな時間(とは限らないはずだけれど)を邪魔しないようにしたい。その見知らぬ誰かには「ヤッホー」の声ではなくて山の音を聞いていてほしい。だから、ひとりの山では出来るだけ静かに歩くようになった。

山での下りは猫のように歩け、などという何度か聞いた言葉を頭に浮かべながら、出来る限り頑張って自分もそろりそろりと音の出ないような足取りで歩いてみたりする(これが結構難しい。)。足のつま先とそれから耳に、意識を集中させながら歩いてみる。ベンチに座ってむこうの山を眺めているひとがいたら、自分は休まず静かに横を通り過ぎる。「ヤッホー」は言わない。

それを何のためにやっているのかいつも途中で分からなくなるけれど、誰に求められているわけでもないその小さな謎めいたこだわりを、ひっそりとひとり続けていけたらよい。

ひととひとの距離が遠く離れれば離れるほど、たとえそのひとが見知らぬひとだったとしても、遠く隔たったそのひとの具体的な姿や顔を思い浮かべ、そのひとに対する自分なりの想像力と敬意を心のなかに雲のように静かに浮かべてみることを、忘れないようにしたいなあ、と思う。