おじさんの花束

先週の、冷えこんだ曇りの朝。
いつもの道を自宅から事務所までてくてくと歩いていて、
小さな交差点で信号待ちをしていた時のこと。

交差点の反対側にある、膝の高さくらいの低い手摺で囲まれた小さな緑地帯、
というか、もはや平凡な雑草の茂みのようにしか見えない場所に、
スーツ姿の人影が動いているのが見えた。

信号が青になったから、
横断歩道をその茂みのほうへと向かってゆっくりと渡った。

低い手摺に囲まれた雑草の茂みの中では、
よれた感じの黒いスーツのズボンをはいて、白いワイシャツの上から斜めに
肩掛けかばんを下げた、おそらく出社前のサラリーマンなのであろう、
ひとりのおじさんが、ごそごそと何かをしている様子だった。

横断歩道を渡る人たちは、おじさんには目もくれず、
駅にむかって足を急がせていく。
おじさんは、逆にそんな人たちには目もくれずに、
下をむいて一心に何かをしている。

こちらが横断歩道をゆっくりと渡りおわって、茂みに近づいた時、
おじさんがふいにすっくと起き上がって、顔をあげた。

その時、おじさんの左手には、ぎっしりと草花の束が握られていた。

自分には凡庸な雑草の茂みのようにしか見えなかったその場所で、
スーツ姿のおじさんが、それらの草たちを楽しそうに摘んでいた。

通行人は相変わらずせわしなく駅へと向かって急いでいる。

おじさんは、左手に持った草花の束をぎゅっと握ったまま、
茂みの中から足をあげ、手摺をまたぎ、
揚々とした足取りで駅とは反対の方向に、交差点を渡っていった。

茂みの中からふと顔をあげた瞬間の、おじさんの、
どこか少年のような明るい顔が、寒い冬空の下でぼんやりと目の奥に残った。