ある話

「これは、ちょっとした心づかいみたいな塗料なんです。」

もうだいたいその日の話も終わりにさしかかるころ、大きなカバンの中から取り出した1枚の紙をちょこんと机に置いて、そのひとはそんなことを言った。

「これは垂木とか板材とか、そういった木材の小口を水分から保護して割れにくくするための塗料なんです。他の塗料に比べて、水に対する耐久性が2倍くらいあって。でも木材の小口なんてたいした面積があるわけじゃないから、だからこれを塗ったからといって目に見えて何かが違うとか、そういうものってわけではなくて。

たとえば工務店さんや塗装屋さんがこの塗料を1缶持っていて、特に誰かが頼んだわけではないけれど、木材の小口にひと知れずさっとこの塗料を塗ってくれる。そうすると、ほんのわずかなことだけどなにか違うような気がするね、なにか割れにくいような気がするねっていう、そういうちょっとした心づかいのような塗料だと自分では思っているんです。」

話を聞いた瞬間、ぱーっと目の前に浮かぶ職人さんの背中がある。あーきっと、あの塗装屋さんだったら、何にも言わなくてもこの塗料を現場に持ってきて、それでさらっと塗ってくれたりするんだろうなあ。そんでそれを見ていた大工さんは、塗装屋さんが帰ったあとで、「やっぱあの塗装屋は良い塗装屋だよ。」ってボソッと言ったりするんだろうな。

いま目の前で塗料の話をしてくれているひとと、きっと今はどこかの現場にいてせっせと塗料を塗っているのであろう塗装屋さんとを、なにか小さなかたちでも繋ぎあわせることができたらなあ、とふと思う。
もう何年も前からずっとお世話になっているそのひとが、その日、電車を乗り継いで、この場所に塗料やその他もろもろのことの話をしに来てくれているということ自体の中に、何かちょっとした心づかいのようなものがあるのだということが、自分にはなんとなく分かるような気もする。

そういうことのすべては、やっぱり全部気のせいなのかもしれないけれど、でも自分のおもう建築って、なんだかそういうものなのではなかったっけ。。

目に見えて何かが変わるわけではない、誰に頼まれたわけでもない、でももしかしたら少しだけ何かが違うかもしれない、ちょっとした心づかいのようななにか。道ばたのあちこちに咲いているサルスベリの花を目の隅で眺めながら、小屋からの帰り道、自転車のペダルをぐいぐい踏んだ。