大きな木

小さな山のうえの丸太に腰かけて、のんびりと時間をかけて珈琲を淹れる。

細く地味な植林のみちがつづいていく山のなかにあって、そのあたりだけは平らかにひらけていて、古い神社のやしろが祀られている。隅の方にはちょっとだけ視界がひらけたところがあって、ひとりのひとが草のうえに寝転んで昼寝をしていた。

珈琲を飲み終わって、お昼過ぎの太陽をあびて、それからザックを背負って、麓にある参道のほうへと、あんまりひとに歩かれていなさそうな細く暗い巻き道をくだった。巻き道の途中で、うしろのほうからさっきの昼寝のひとがさーっとおりてくる気配がして、細い道の脇の急な斜面に寄りかかって道をゆずった。

通り過ぎるとき「失敬」と小さく呟いた昼寝のひとは、猿のようなスピードで音もなく荒れた巻き道をくだっていった。そのうしろ姿はもうしばらく行くことの出来ていない遠い町の山のひとたちの背中に、どこか似ているような感じがする。

小さな沢の水をまたいで鳥居の見えるところまでおりていくと、とたんに視界がひらけて、左手に見たこともない大きさのカツラの木が立っているのが見えた。あっ、と思わず声がでる。樹齢500年。気の遠くなるような時間をこの場所ですごしたその木の根元には、ゴウゴウとたくさんの水が流れていて、その音の大きさがカツラの木の崇高さを途方もなく大きなものへと引きたてている。

山のなかで古い木や大きな木を見ると、何人かの大工さんの姿が浮かぶのはなぜだろう。きっとあの大工さんはこの木を見たら、こんなことを言うだろうなあ。あの親方はこの木を見たら、あんなふうな反応をするかもなあ。あの棟梁だったらたぶん、きっとこんなふうに。

その日もなんだかそんなことをぼーっと考えながら、もう遠くに見えなくなった昼寝のひとの背中を追いかけるようにして、てくてくと道をくだった。山の道はいつしか林の中の舗装路にかわり、誰もいない参道にはひっそりと桜の花が咲いていた。