山と水

どこか水の音を連想させるような、やわらかく透きとおった、山の遠景。
さらさらと流れるようなモノの連なり方が、羨ましい。

更新

「事務所のこと」のページにいくつか写真や文章を追加するなどしました。
(掲載した写真は「アクセス」のページの1枚を除き全て金田幸三さん撮影。)

ちなみにこの写真は、鶴舞の家の小さな模型。

設計している側はどうしても模型を実物に似せたり、大きく見せようとしたりしがちなところがあって、なかなかこんな風な捉え方で模型を撮ることはないので、その視点が新鮮で面白いなと感じた写真です。

月ふたつ

綺麗な満月。
のはずが、いつものポンコツカメラで撮ったらどうにもブレて、満月が2つか3つ。

砂漠

飛行機の窓から。
砂漠みたいに広い雲海の向こうに、たぶん富士山。

静かな時間

高松。全て大工さん手刻みの、木組みの架構が空に浮かぶ。

ひとりの大工さんが3ヵ月もの時間をかけて、全て自分の手で黙々と墨付けをされたそう。毎日加工場で、これだけの本数の木と独りで向き合い続ける時間というのは、どんなに大変でどんなに尊い時間だろうか。

建築や設計の現場から、そんな静かで豊かな時間がどんどん失われていっている。

パソコンの中で何度でもやり直しの効く図面を効率良く描いていては、そんな大切な時間を知ることはできないのだろうと思うから、自分の設計するものの図面は、やはり、できる限り自分の手で紙の上に描くことを続けていきたい。そんな考えを改めて心に刻みました。

工事現場の双子

道路拡幅予定地にて。

周囲をぐるっと仮囲いで囲まれて。
でも我関せずといった風情でのほほんと立っている。

秋の陽射し

机の横の窓から。
秋は毎年、気づいた頃にはあっという間に過ぎて行ってしまう。

水の底

綺麗な水色の水盤。

底面の素材によって、こんな表情が出せるんだ、と唸らされました。
まさに水の色のイメージそのものが顕されているような。

この浅い水面を見つめていたら、なぜだかアメリカの小説家トルーマン・カポーティの文章が頭に浮かんだりもしました。『遠い声、遠い部屋』。それから『叶えられた祈り』。物事のどうしようもない浅さと、おぼろげに揺れる記憶のこと。

ともあれ、水がゆらゆらと揺らめく様子は本当に心が鎮まります。

草むら

小さな川の土手。
草むら、という言葉にある響きの素朴さと土の匂いが好きです。

更新

「手がけたもの」のページに、「長生村の小屋」「市川の窓辺」をUPしました。

こぎん刺し

津軽の伝統、こぎん刺しの製作図面(らしい)。

この無機質なグリッドを通して、あの暖かくも複雑な幾何学模様が生まれるのかと思うと、とても面白い。建築の図面にも大いに通じるところがあるような気がします。

岩木山

岩木山。
弘前からのリンゴ畑越しの遠景。

大地に深く深く根を張りながら、同時に神々しいまでに美しい津軽の象徴。
何度見てもその崇高な存在感と佇まいに、ただただ圧倒されます。

大地に根を張る

しばらくかかりきりだった実施設計がひとまず少しひと段落。。

先日テレビで、とある将棋棋士が他の中堅棋士の棋風を評して「大地に根を張ったような将棋」と言っていて、その言葉の響きにふいに心を打たれた瞬間があって、そのことを今日、ふと思い出しました。

写真は昨年訪れたアントニン・レイモンド設計の札幌聖ミカエル教会。
レイモンド独特の軽やかで素朴な木造架構を、深く地面に杭を打ちこまれたかのような表情で寡黙に支え続ける基礎まわり。

ものの成り立ちの最も深いところで、そのもの自体は何も語らずに、でもはっきりとそこに在って、黙々と何かを支えるもの。そのことの表現。
中野重治の小説『梨の花』に出てくる、「底土」という言葉を少し思い出しました。